2016年2月29日月曜日

無くしたもの


インドネシアで、
失ったものがふたつ、あります。



ひとつめは、「視力」。


ぼんやり……

子どもの頃から視力はとても良く、視力検査ではいつも「2.0」。
小学生の時からパソコンをよくいじっていて、
大学卒業するまでに少しずつ落ちたけれど
それでも「1.5」はありました。

そして、帰ってきて気づくのは
視力がガクンと落ちていること。

向こうにに居たって気づくだろう、と思うかもしれませんが
漠然と、落ちたな。という程度で
まさか「0.3」まで落ちているとは思いませんでした。

何故日本に帰ってきてそれを実感したのかというと、
それは、とても単純。文字情報の多さです。
街に溢れる看板の文字を読もうと思っても読めないのです。
バンドンと比べた時に、
東京の街の中にあふれる文字情報がいかに多いのかを知りました。

そもそも、何故落ちたのかというと、
部屋の中が暗いからですね。
それに尽きると思います。
日中、太陽が出ているからという理由で
教室内は電気を付けないためぼんやり薄暗く、
友達の家に行けば、これまた不快感を感じるほど暗いのです。
かれらは本を読まないため光量は少しで良く、
また、電力の供給が足りずにしょっちゅう停電をする街なので
電力をなるべく使わないというのが身体に染み付いているようです。

大学の先生の家に泊まりにいった時にも
その暗さは学生の部屋のそれと変わりませんでした。
ただ、勉強をする机にだけはデスクライトがありました。

「電気」 
でも少し書いていますが、
そんなわけで
短時間で目に見えて目が見えなくなるのを感じ
帰ってくる頃には、しっかり落ちておりました。

眼鏡は作りましたが
長年かけてこなかったので掛け慣れず……
未だに裸眼で過ごしています。





そして、ふたつめは「土踏まず」。


私の身体で唯一誇れる部位だったのに……
土踏まずがかなり無くなりました。
この場合、土踏まずが「出来ました」、とでもいうべきなのか、
つまりは、扁平足に近くなりました。

視力と同じく、
もともと土踏まずはかなりある方で、
つまり、地面に設置する足の部分が極端に少なかったのです。
それがどれくらいかというと
靴の中敷きの隆起した部分が触れなかったくらい。

それが、帰ってくる頃には
ほとんどぺったり。

日本でも、向こうでも
運動嫌いはかわりませんでしたが
「歩く」という当たり前の行為があまり出来ないのが原因だったかと思います。
その理由は、
歩道が整備されておらず危ない。であるとか、
日中はとても暑いので外を出歩くと身体に良くないとか
散歩すると光化学スモッグで体調を崩すとか、
夜は治安が悪いので出歩けないとか、
そうしたことで無くなっていったのだと思います。
運動が嫌いでも、日本では自然に歩いていたんだな、と。


視力もそうですが、
かなりショックでして、
靴のメーカーさんにこの話をしたところ
「崩れちゃった足は戻りませんねぇ」
とさらりと言われ、
「崩れる」という表現にさらに打ちのめされました。



今まで暮らしていた環境とは
全く異なる環境で暮らすことで失うものがあるのは
ごく当然のことかも知れません。

どうせ、人が生まれて死ぬまでに
失うことの方が多いと思うし。


じゃあ、逆に何を得たのか? というと
……三半規管が鍛えられたこととか……?

「三半規管」 



うーん……

ウーン……、悩ましい、悩ましい。


2016年2月24日水曜日

時間


再始動します。
の記事の中で、わたしはこう書きました。

わたしは、日本に本帰国して9ヶ月なのですが、
9ヶ月とは思えないほどにぎゅっと詰まった時間で、
それは「充実した」とか「長い」とかいう表現とはまた違い、
ただただ、9ヶ月には思えない時間だった、という風にしか表現できない。


これは、何だったんだろう?
と考えていると、この1週間で言語化できたように思うので
書いてみます。

それは例えば
1週間を、1週間として感じられる。
そういうことなんだと思います。

楽しい時間は早く過ぎるし、
辛い日々は長く感じる。
だけど、今は、1日を1日としてしか感じない。
1ヶ月が過ぎると、「ああ、1ヶ月だったな」と思う。

向こうに居た時は、いつも早すぎたり、遅すぎたりしていた。
そして振り返ってみると、
人はたった2年間という期間で
これだけのことを体験できるのか、と思える程
2年には思えない、2年だった。



そして、今、9ヶ月が9ヶ月でしかない。
それが、良いのか、悪いのかといえば
わたしにとっては悪いのだと思う。
自分次第で早くも、遅くもできる時間の流れを
ただあるがままに享受しているだけのような気がしてしまう。


ネシアには
「Jam karet」という有名な言葉があって、
「時間はゴム」という意味です。
これは、時間に非常にルーズなネシアの時間に対する考えを表していて
外国人が彼らのスタイルを形容するのにもよく使われます。


これは、ジョーク的に、
彼らは肯定的に、そして自虐的に
でもやっぱりネガティブな意味で使われるのですが
まわり回って、今のわたしには
妙に腑に落ちるのです。


Jam karet.
毎日が中学生の時のような流れで進んでいた時。
手前左からMia、後ろがKijing、真ん中の坊主がJiwa。

真夜中にいい大人がなにをやってたんだろ。笑


2016年2月22日月曜日

辞書


「インドネシア」の漢字表記って知ってますか。


アメリカは米国。
イギリスは英国。
フランスは仏蘭西で仏国。
イタリアは伊太利亜で伊国。
ドイツ語は独逸で独国。


インドネシアは……、印度……、印国?
いや、それじゃあインド(India)だしな。というわけで
正解は「印度尼西亜」だそうです。


……なんか、暴走族の特攻服がパッと思い浮かんだのは
私だけでしょうか。
明朝体で「 印 度 尼 西 亜 」。



そうするとネシアは「尼」なんですね。「尼」国。
わたしも知りませんでした。
あ……あまこく? ではなく、 ”に” こく。
尼国(にこく)。
尼語(にご)。

日本語でネシア語を調べる辞書なら、日尼(にちに)辞書。
逆でも「にちに」ではなく、尼日(ににち)辞書。

漢字は一瞬見ただけで記号的に理解できるから
字面で見ると分かりやすいけど、
声に出すと分かりにくいものです。



私があちらに滞在中、
学校に行く時や、予備校に絵の指導に行く時に
かならずリュックにいれて毎日持ち歩いていたのが、
まず「電子辞書」(国語辞典、英和、和英、英英辞典が入ったもの)。

それに加えて、紙の辞書が2冊。
「日尼」と「尼日」です。

日本から持っていった
『現代インドネシア辞典』末永晃、関伊統 編

現地で購入した
『KAMUS STANDAR BAHASA JEPANG - INDONESIA』GORO TANIGUCHI

この「電子辞書」、紙の「日尼」「尼日」の3つのセットを
毎日リュックに入れて持ち歩いていました。

ダイエットかっつーの。



辞書は、出国前に
結構な時間をかけて「何を持っていくか」を悩んだもののひとつ。
インドネシア語対応の電子辞書を店頭に見に行ったり、
アプリを使う為に、持ってなかったスマホを買おうかなと思ったり。
すごく悩んだけど、結局日本から持っていったネシア関連の辞書は
この小さな緑色の「尼日」一冊でした。


約2年居て、
「尼日」には本当にお世話になったけど、
紙とか、電子辞書とか、アプリとか、それこそ色々あるけれど
何がベストだったか、というのは
正直、未だによく分かんない。

調べるものというよりも、読み物的な要素がある「尼日」だったかな。
例文は載ってませんが、
関連用語が載ってて勉強になりました。

というのも、辞書で調べても載ってないことの方が
圧倒的に多かったんです。
でもそれは、この辞書の問題というのではなく、
ネットの辞書を使っても、そうだったので、
問題は別なところにあるように思います。


それは、
地域語の多さからくるものなのか
そもそも言語が体系化されていないからなのか……
どちらともだと思いますが、
毎日辞書は持ち歩いて毎日開いてたけど
「あってよかった!」っていう記憶はあまりないんですね、今思うと。
探しても、"載ってない"なんてことは
英語の辞書ではあり得ないことなのですが
ネシア語は本当によくありました。


でも、意外に困らないものです。
ネシア人というのは、
宗教的な考えから、
弱いものを救ったり、困っている人を助けたりするのが
当たり前に身体に染み付いているので
私が
分からないものに対してはとことん教えてくれるから。

辞書で学んだことも、最終的には
現地民の教えで全部上書きされちゃうんですよね。
だから、あんまり活躍したっていう記憶がないのかな。


この「尼日」は現地で買ったのですが
デカイわ、重いわで……
紙はコピー紙だから分厚いし、
印刷はネシアクオリティだしで
とんでもない辞書でしたが、
日本人が編集しているので、必要な単語が載っていました。
あとは、現地クオリティの本なので、1000円で買えて安かった。

独特の索引を見ると、
確かに辞書の索引って特殊な技術だよな、
と思い知ります。
安くて、コピー紙の辞書ですが
書き込みできるのはメリット。
家で使う分にはよかったですね。

「尼日(ネシア語→日本語)」を日本で買って、
「日尼(日本語→ネシア語)」を現地で買うって、
なんか、逆じゃない? と思われるかもしれませんが
たぶん、そうではないのです。


インドネシア語が話せない最初のうちは、
まず、"尼語を知る” ことの方が最も必要なんです。
スーパーに行って売っているものが何なのか、
街の看板に書いてあるのは何なのか、
そういったことなので、まず「尼日」が必要なのです。

実際、わたしが逆の「日尼」を手に入れたのは
現地に行ってから2ヶ月くらい後だったように思います。
「遅いだろ」と思うかもしれませんが、
このくらい経って初めて、
「日尼」が必要になる瞬間がくるんです。
それは、自分のことを話す必要が出てくるようになってからなんですよね。

それまでは拙い英語でなんとか喋っていたけれど、
現地語を少しずつ覚えていって、
その中で友達ができて、
友達に、"私のことを知って欲しい"、そう思えた時に
初めて必要になるものなんです。


この辞書でいつも一生懸命言葉を探しながら
頑張ってSNSを返信していた
あの時を、思い出します。

2016年2月15日月曜日

再始動します。


たいへんにお久しぶりです。
くろです。


大分長いこと放置しておりました「ネシアにっき」ですが、
やはりちゃんと完結させておきたい
という気持ちは消えておらず、
むしろインドネシアで生まれてしまった
もうひとつの自分というか、分離してしまった自分というか、
そういったものがやっと脱皮しはじめている。そんな感じがして
あの時感じたそのままではないけれど、
今、もう一度、最後に向けて、
書いていけそうな気がしています。





1週間に1度くらいのペースで
更新していければいいなと思いますが
どうなりますかね。
ログインのパスワードさえ忘れていた自分にびっくりしています。
また、毎週、週初めの月曜日を目安に
更新していきたいと思っています。

「本帰国です!」
で予告していたものでいうと、まだ書いていない
・魅惑のアルンアルン 編
・スンバ島 編
・お別れ 編

この3つを大きなトピックとして書いていけたらと思っています。



わたしは、日本に本帰国して9ヶ月なのですが、
9ヶ月とは思えないほどにぎゅっと詰まった時間で、
それは「充実した」とか「長い」とかいう表現とはまた違い、
ただただ、9ヶ月には思えない時間だった、という風にしか表現できない。
そして、その時間の中で
恐ろしいことに
あの時の写真を見ても、
あんなに仲良く話していたインドネシア人たちの名前が
思い出せないことに気がつくのです。


今思えば、
わたしは忘れないために、
このにっきを書き始めました。

やっぱり書かないとだめなんですね。




だから
今からでも書いてみるべきであって、
そうしてまた繋げていこうと思います。


きちんと、
記録しなければ。
インドネシアの初日から記録してきたこのにっきを、
あの日々を、きちんと終わらせたい。
そう、思います。


また、よろしくお願いします。

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