インドネシアで、
失ったものがふたつ、あります。
ひとつめは、「視力」。
ぼんやり…… |
子どもの頃から視力はとても良く、視力検査ではいつも「2.0」。
小学生の時からパソコンをよくいじっていて、
大学卒業するまでに少しずつ落ちたけれど小学生の時からパソコンをよくいじっていて、
それでも「1.5」はありました。
そして、帰ってきて気づくのは
視力がガクンと落ちていること。
向こうにに居たって気づくだろう、と思うかもしれませんが
漠然と、落ちたな。という程度で
まさか「0.3」まで落ちているとは思いませんでした。
何故日本に帰ってきてそれを実感したのかというと、
それは、とても単純。文字情報の多さです。
街に溢れる看板の文字を読もうと思っても読めないのです。
バンドンと比べた時に、
東京の街の中にあふれる文字情報がいかに多いのかを知りました。
そもそも、何故落ちたのかというと、
部屋の中が暗いからですね。
それに尽きると思います。
日中、太陽が出ているからという理由で
教室内は電気を付けないためぼんやり薄暗く、
友達の家に行けば、これまた不快感を感じるほど暗いのです。
かれらは本を読まないため光量は少しで良く、
また、電力の供給が足りずにしょっちゅう停電をする街なので
電力をなるべく使わないというのが身体に染み付いているようです。
大学の先生の家に泊まりにいった時にも
その暗さは学生の部屋のそれと変わりませんでした。
ただ、勉強をする机にだけはデスクライトがありました。
「電気」 22nd September 2014
でも少し書いていますが、
そんなわけで
短時間で目に見えて目が見えなくなるのを感じ
帰ってくる頃には、しっかり落ちておりました。
眼鏡は作りましたが
長年かけてこなかったので掛け慣れず……
未だに裸眼で過ごしています。
そして、ふたつめは「土踏まず」。
私の身体で唯一誇れる部位だったのに…… |
この場合、土踏まずが「出来ました」、とでもいうべきなのか、
つまりは、扁平足に近くなりました。
視力と同じく、
もともと土踏まずはかなりある方で、
つまり、地面に設置する足の部分が極端に少なかったのです。
それがどれくらいかというと
靴の中敷きの隆起した部分が触れなかったくらい。
それが、帰ってくる頃には
ほとんどぺったり。
日本でも、向こうでも
運動嫌いはかわりませんでしたが
「歩く」という当たり前の行為があまり出来ないのが原因だったかと思います。
その理由は、
歩道が整備されておらず危ない。であるとか、
日中はとても暑いので外を出歩くと身体に良くないとか
散歩すると光化学スモッグで体調を崩すとか、
夜は治安が悪いので出歩けないとか、
そうしたことで無くなっていったのだと思います。
運動が嫌いでも、日本では自然に歩いていたんだな、と。
視力もそうですが、
かなりショックでして、
靴のメーカーさんにこの話をしたところ
「崩れちゃった足は戻りませんねぇ」
とさらりと言われ、
「崩れる」という表現にさらに打ちのめされました。
今まで暮らしていた環境とは
全く異なる環境で暮らすことで失うものがあるのは
ごく当然のことかも知れません。
どうせ、人が生まれて死ぬまでに
失うことの方が多いと思うし。
じゃあ、逆に何を得たのか? というと
……三半規管が鍛えられたこととか……?
「三半規管」 21st August 2013
うーん……
ウーン……、悩ましい、悩ましい。