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2016年4月18日月曜日

そういえば、本出てます。


そういえば、
あまり人に言っていないのですが、

本、出てます。


『旅の賢人たちがつくったアジア旅行最強ナビ 単行本』
丸山ゴンザレス&世界トラベラー情報研究会・編


去年2015年の12月に出まして、
私も3pですが、原稿を書かせて頂きました。


勝手に泊まり込みで弟子入りの旅(p106、107)
インドネシア旅の落とし穴(p234)



なぜ半年も前のことを今更……!とお思いかも知れませんが、
なんとなく出版されて自分の名前と原稿を見ても現実味が無く、
そして最近の私の困ったところなのですが、
「本を出したい」という私の夢が叶ったにも関わらず実感が湧かず
特に人に言いまくるでもなく、
そしてこんな日になんとなく告知になってしまいました。


事の経緯は去年2015年の5月だったかな。
日本に帰ってきて2週間くらいしか経ってなかった時に、
友達の紹介で、この本の編集者であります「丸山ゴンザレス」さんからご連絡を頂き
アジア旅行記を出されるとのことで、インドネシア枠で誘って頂いたのでした。
今はテレビでもよく出演されているそうなので
ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。

原稿を今まで書いたことが無い初心者の私に、
書かせて頂いたこと、本当に有り難く思っています。


今私は雑誌の編集者として働いていて、
今でこそ毎週原稿を自分で書いていますが、
入社する前だったので、初原稿といえるものでありました。
出版されるのはそれから半年以上後のことになりますが、
雑誌ではなくて、念願の書籍という形で初めて出版されたのがこの
 『旅の賢人たちがつくったアジア旅行最強ナビ 単行本』
になります。

本は、実際にアジアに住んでいる人や
住んでいた人が、その場所についての原稿を書いていて、
いわゆる旅行記とは違い、実践的な内容になっているので
これから旅をしようと考えている人は
正しい情報も含め、誰も教えてくれない生の情報が知れるので
面白いと思います。


私の担当は3pだけなのですが、
リズムとか、内容の面白さに重点を置いているこのブログの文章とは違い、
とにかく読みやすくて理解しやすい文章を心がけて
何度も何度も書き直ました。
既に読んでくれた友達には、
読みやすくて頭に入ってくると褒めてもらえて嬉しかったです!


内容は、勝手に泊まり込みで弟子入りの旅(p106、107)




に関しては、
既にこのブログでも書かせて頂いている
タシクマラヤという田舎で竹職人の家に泊まらせてもらうという内容から、
メインとしては、このブログではこれから書こうと思っていますが、
スンバ島というバリよりも東側の小さな島で
染めの技術を見せてもらいながら家に泊まらせて頂いた経験のことを書いています。

インドネシア旅の落とし穴(p234)

これは、インドネシアの薬局の話ですね。
いわゆる日本でいう「第一類〜第三類医薬品 」のような
薬の強さについて書いています。
あとは裏テクニックについても少し。
 

ということで、
もし本屋で見つけたら、
是非立ち読みしてください(笑)


今更すぎる宣伝でした〜!


2016年4月11日月曜日

魅惑のアルンアルン一気見せ その②


記事が長くなったので
ふたつに分けています。

「その①」を先にどうぞ。
今ご覧になっているこのページは「その②」です。

幾何学模様(や曲線の模様)と並んで
偶像崇拝禁止のイスラム教ならではの装飾は「文字」。
カリグラフィーで美しく模様のように描いたりすることもあるそうですが
ここのモスクは比較的現代的な様式だと思われます。
文字(アラビア文字)まで直線 で描いていて、
一見するとただのパターンだと思って見過ごしてしまいますが
よく見るとひとつずつ違うんです。

間違い探しみたい。
下と比べてみると微妙に違うの、分かります?

これはたぶんアラビックを
崩してる(むしろ整えているというか……)
デザインだと思うんですが、どうでしょう?

バンドンの市長であり、
私の通っていた大学(ITB/バンドン工科大学)の建築学科の卒業生でもある
Ridwan Kamil(リドワン・カミル)氏が設計した
モスク「Masjid Al-Irsyad(マスジッド アル・イルシャド)」も
外観はアラビア文字からデザインされた模様で覆われています。

美術館みたいな見た目ですね。

画像出典 : https://id.wikipedia.org/wiki/Masjid_Al-Irsyad

中の部屋の構造としては、
調べてもちょっと名前が分からなかったのと、
すべてのモスクがそうではないと思うのですが、
入ってすぐに、横に長い通路があり(そこにクロークなどがある)
すぐ目の前のドアをあけると大きな部屋がある。
しばらく歩くと扉があって、その先にもっと大きくて天井の高い部屋があります。
どちらもグリッドが引かれていることからわかるように
イスラム教徒がそこで礼拝を行う場所であることは確かなのですが、
間に仕切りがあるのは何故なのか、
それは恐らくイスラム建築の構造に理由があるのかもしれません。

まず、入り口を入ってすぐの部屋。

中から入り口に向けて撮影したもの。
天井に、丸いところありますよね。
写真だとフラットに見えますが、
真ん中の光が前後左右に漏れる方向を見てもらうと分かるのですが、
これ大きく内側に湾曲してるんです。

そうすると何かというと、
真下に立って普通の音量で会話をしただけでも
部屋中に ぶわわわぁぁぁぁっ と声が広がります。
体育館で「あー!」って言うと壁に跳ね返って聞こえる、
あのコダマのような反響の仕方ではなく、
徐々に徐々に声に広がりがでるような感じで聞こえるんですね。
そうすると、この場所に居ても
(一番置くの部屋で説教をするハティーブからは200mくらい離れた場所)
声が跳ね返って聞こえてくるんじゃないかと予想します。

その、ハティーブがいる一番奥の部屋の天井も
ドーム型になっていましたね。


外から見ると、
"モチを真上から爪楊枝で挿して、すーっと引き抜いた時にぎゅうひがくっついてきた"
みたいなドーム型の形状は、この内部構造があるからだとわかります。

さて、目線を下に戻すと、
 ここが、ハティーブとか、
イマーム(アザーンを行う人)が立つ
建物内の一番正面の部分につきあたります。

正面一番奥、ということは
これを正面とした方向に
イスラム教徒がお祈りを捧げるギブラということです。


もちろん、私がお邪魔したときは
礼拝の時ではないので教徒しかいませんでしたが、
円弧の真下にある階段つきの小さなものがあります。
これが「説教壇」で、ここに登ってイマームが説教するみたいです。

ここでの説教が、ドーム構造が助ける形で
壮大な響きの声となり、この部屋全体に響き、
そして入り口に近い手前の部屋まで響くわけですね。
私のカメラではこのスケール感、伝わりませんが
建物入り口入ってから、この奥の説教壇のある場所まで
成人が普通の速度で歩いて1分以上はかかりますので、
建物内だけで、Sajadah(サジャダ)を1人1枚しっかり敷いても
1万人以上は軽く入るでしょう。

でもね、
私気づいちゃったんですよね。

緑の光が真ん中で四角く遮られていますよね。
その四角の真下、緑の光が始まっているところ、
よーーーーく見て下さい。

エアコンですよ、エアコン。
快適〜!

というわけで、
魅惑のアルンアルン編でした。

現地に居た時は調べようとも思わなかったけれど、
ちゃんと調べてみると面白いことばかりでした。

魅惑のアルンアルン一気見せ その①


さて、
1ヶ月に渡り休みをとってしまいました……。

1ヶ月前の「魅惑のアルンアルン」に引き続き、
やっと、「魅惑のアルンアルン一気見せ」 ということで
アルンアルンのモスクの中を見ていきましょう。

大分記事が長くなったので
ふたつに分けています。

今ご覧になっているページは「その①」です。

真夜中にこんなに普通の人が集まってることは
あまりありません。
(しかも宗教建築内という性格上、夜中でも比較的治安はいいはず)
「AA会議60周年記念」だからこその盛り上がり。


そもそも、外国に住んでいる時は
特に慣れてきてからがそうなのですが、
最初は大量の情報を一生懸命受け取るのですが、
少しずつ言葉や環境に慣れてくると 、
自分にとって必要な情報と、覚えなくてもいい情報を
しっかり分けるようになります。

なので、この写真を撮った時には
ただ目に見える珍しいものに対してシャッターを押しただけで、
別段それが何なのかが気なっていなかったことが、
今になって知りたくなりました。
なので今調べた上でのお話なので
間違っていたら訂正してください。


まずは、外観から。

このアルンアルンにあるモスクの左右に2本そびえ立つ棟。
これが、「ミナレット(Minaret)」と呼ばれる物で
イスラムの宗教建築に付随するものだそう。
町中に爆音で流される「アザーン(お祈りの前の呼びかけ)」が
スピーカーから流れてくるんですね。

空港の管制塔みたい。

さあ、中に入ってみよう。

入ってすぐにあったのが、
"Tempat penitipan sepatu/sandal"
つまり、「靴/サンダル置き場」です。
荷物預かり所はないのに、
靴預かり所があるあたり、ムスリム。
(普通みんなお祈りに来る時は、
仕事場や、自宅などでユニフォームに着替えて手ぶらでくるから。
お祈り前には身体を水で清めてからサンダルでくるので。)


イスラム教のことをよく知らない人でも
イスラム教では偶像崇拝を禁止しているといことは
比較的よく知られている情報なんじゃないかと思います。
つまり、アッラーを形にした銅像であるとか、絵画とか
アッラーやムハンマドでなくても、
そのストーリーとかそれを感じるようなものも駄目なわけで。

そういうわけで、
モスクというものは
中はすごくガラーンと体育館みたいに殺風景なところも多いんですよね。

床にはグリッドが敷かれていて、
そこの1マスの中に各自家から持ってきた布を敷きます。
まず身体を水で洗って清潔にした後に、
清潔な場所でお祈りする必要があるからです。
これはSajadah(サジャダ)という小さなカーペットのようなものなんでけど
大きさが決まっているので、その大きさに合わせてグリッドがひいてあるというわけ。


ここは横ラインだけですが、縦ラインも引いて
マス目になっているところも多いです。



 
 
ただ、こうしたalun alunのように大きいモスクは
もちろんお金がかかっているわけで、装飾的な部分も多いんです。
でも偶像崇拝が禁止されているので、
いわゆるキリスト教の教会のように、
マリアさまの絵が書かれたステンドグラスや聖人の銅像があるというわけではなくて、
幾何学の直線的な線の組み合わせで出来た模様で装飾が施されています。

すべてのイスラム建築が
こうした幾何学模様で作られているわけではないそうですが
こうしたものは「アラベスク」というそうです。
「アラベスク」と聞いて
♪ラシドシラッ ラシドレミッ レミファソラッ ラシドレミッ
が頭に流れてきたのは私だけではないはず。


夜のアブさん
こんなに装飾的なモスクは
バンドン中探してもここくらいだと思います。
 
基本は幾何学ですが、
中に描かれている絵は
植物的な曲線ラインでも描かれていますね。

基本的に幾何学の模様は
繰り返しのパターンが多いですよね。
モスクの入り口の門を
「ビシュターク」と呼ぶそうです。
ビシュタークも美しいタイルなどで
模様が構成されています。
(何度も言うようですが、こんな綺麗なモスクはまず無い)
アップ写真

偶像崇拝禁止のイスラム教で「装飾」と呼べるものが
もうひとつあります。

その②につづきます!

2016年3月7日月曜日

魅惑のアルンアルン



ALUN ALUN(アルン・アルン)がずっと気になっていたんです。


でも、ずっと入ったこと、無かったんです。
だだっ広い土地が何年もずーっと工事中で、
ただ高くて白い塔がズドーーーンって建っていて、
私が帰国する直前の2015年の2月くらいに
やっと解放し始めた、そんな記憶です。

画像出典 : http://lampung.tribunnews.com/2015/06/17/ridwan-kamil-isi-tausiah-dengan-program-kesehatan-di-bandung

上から見た、アルンアルン・バンドン。

ALUN ALUN(アルン・アルン)って、
エリアの固有名詞だと思ってたんですよね。
「公園」が、taman(タマン)なのですが、
ALUN ALUN(アルン・アルン)は「広場」という意味だということは
さっき調べて初めて知りました。

画像出典 : http://www.skyscrapercity.com/showthread.php?t=1566353&page=14

夜のバンドンのアルンアルン。
「バンドン広場」と言えばいいのか。

正しい情報はもう忘れてしまいましたが、
「アジアアフリカ会議(AA会議) 60周年式典」を前に、
 1955年の4月18日にバンドンで第1回AA会議が開かれた際に会場だった
Gedung Merdeka(グドゥン・ムルデカ)の建物を目の前に位置するこの場所に
このALUNALUNが整備されたのではないか、と思います。


この、AA会議については、
別のブログで書いている私の文章を引用すると……

アジア・アフリカ会議(略してAA会議)って聞いた事、ありませんか?
1955年の4月18日に、バンドンで開かれたのが第1回AA会議で世界初と言われている非白人国家だけによる国際会議のことです。
もちろん当時、日本も参加しました。「第1回」といっても、第2回以降は実施されなかったためアジア・アフリカ会議は、バンドン会議とも呼ばれます。
引用 : まくびーず「アジア・アフリカ会議60週年式典」

ということで、
このバンドンの地で、60年という時を経て、
有色人種による式典が2015年4月に行われたというわけですね。

街はもう、お祭り騒ぎ。

各国の首脳の顔パネルが置かれたり
なんか、文化祭っぽい。
阿部さんも来尼していたそうですが、
似顔絵は見つけられなかったなぁ。
Gedung Merdeka(グドゥン・ムルデカ)周辺と、
各国首脳が通過する空港〜建物の道のみが整備され
綺麗になった景観を楽しむひとびとでいっぱい。
真っ黒な水とゴミが流れる川に関しては、
建物周辺は徹底的にゴミが除去されていてびっくり。

バスでのみ通過する川に関しては
パネルで塞がれてバスからは見えないようになっていたり……と
偽装工作がたくさん行われていました。(笑

これらの写真は、私の記憶だと、
AA会議式典の4日ほど前だったと思うのですが
夜中の11時頃にしてこの騒ぎ。

日本と違って治安が良くないインドネシアなので
真夜中に健全な人々がこんなに沢山にぎわっているなんて
ただ事ではありません。

いつでもどこでもnongkrong(ノンクロン/暇つぶし)
巡回してるのか、遊んでるのか。

バンドン市民にとって
世界中の人が集まってくることは
楽しいお祭りであるかのような
そんな印象を持ちます。

私も、この式典に便乗して入国した外国人だと思われて
かわいい女子中学生諸君から一緒に写真撮影を頼まれたりして
みんなの高揚感が伝わってくる毎日でした。

人が多い夜は
散歩してても怖くないからいいですね。

カップルもいちゃいちゃ。
家族もわくわく。
 
アルンアルン内部は本当に綺麗に整備されて
花壇もなんだか立派な感じです。

そして、やはり極度にキメて
ポーズを撮りたがるのがネシア人。


アルン・アルンは最初に申し上げた通り大きい広場となっていて、
広い敷地内に人工芝が敷き詰められているエリアになっていました。





画像出典 : http://m.covesia.com/berita/5366/tampilan-baru-kini-alun-alun-bandung-semakin-memikat-pengunjung.html

お昼にくるとこんな感じ。
画像出典 : http://ayobandung.com/read/20160101/61/6152/bom-tak-surutkan-warga-ke-alun-alun-bandung

かなり広い面積だということが分かるかと思います。

画像出典 : http://www.jurnalposonline.com/?p=2021

やはりハズかしげも無くセルフィー。

奥の方にものすごく大きいモスクがあって。
私、モスクって入っていいよとは言われていたんですけど
最後の最後まで入らず仕舞いだったので、
せっかく入るなら、バンドンいちデカイ(であろう)
アルンアルンのモスクに入りたいぜ!

ということで、次回、
インドネシアでの生活、

最初で、最後の
モスクです。

 

画像出典 : http://ica2016-itb.org/index.php/general-information/local-attractions/

ただひたすら写真アップという感じですが、
次回は知られざる、モスクの中、公開です。


では!

2014年4月9日水曜日

ウインナーソーセージ事件



ウインナーソーセージって、なんか高級な感じがするのは私だけしょうか。
日本に居た時から、ウインナーを買うのは
精肉を買うよりもなんか躊躇ってしまう。
好きなんだけど、なんか高級なイメージがどうしてもあって
5年間していた一人暮らしの時は自分で買った事が1回か2回くらいしかない。

いや、好きなんだけど。


この前いつもいく輸入スーパーに行ったらソーセージが売っていて
なんとなーーーく買った。

12本入りのやつ。

そのソーセージでシチューを作ろうと思って
ひとまず買ってすぐに味見程度に夕飯に3本焼いて食べて
残りの9本を
コサンの住人全員(約30人)で使ってる超小さい冷蔵庫にしまった。

で、次の日。

朝、冷蔵庫で冷やしているお水を飲もうと思って
蔵庫を開けると
あれ……?
うち、ウインナーの入った袋、こんな雑に閉じたかな。

あれ!?
ウインナーが3本しかない!!!!

しかも買った玉葱もない!!!!!!!!!

えーーーーーー!!!!



そう、誰かにウインナーと玉葱を盗まれた。

そんなこと今まで一度もなかったので
最初はびっくりしたんだけど
だんだんムカついて来て
次の日にはすっげぇムカついて来て
超ムカついている。


いや、金額の問題じゃない。
たぶん、"食べ物の恨み"っていうのはこういうことなんだ。
もっといえば、何故か「高級」のイメージがあるウインナーだったからさらに悪い。

そして気付くと、洗った後に食器を立てかける棚に乾かしておいた
お気に入りのスプーンまで無い。


でもウインナーが一番腹が立つ。


とりあえず残りの食材を紙袋にいれて名前を書いて冷蔵庫にしまった。
これだけ盗まれてまだ冷蔵庫に入れなきゃいれないのは嫌だけど
牛乳とか冷やさなきゃいけないので仕方ない。


そしてまた数日後に同じスーパーに行った。
そして私は考えて
もう一度ウインナーを買った。


リスクをおいながら
何故ウインナーを買ったかというと
私にはある作戦があったからなのです。


一回目に買ったのは、鶏肉のウインナー。


そして今回

豚 肉

のウインナーを買ったのです。



そうです。

私の作戦とは

「イスラム教徒は豚肉がタブー」作戦。



いやあね、
もっといえば
「盗難」もタブーなんですけど。


フライパンとかそういうものを勝手に使われたりするのは全然いいけど
消耗品を使われたりだとか
当たり前だけど盗まれるのは嫌だ。


前のコサンでは
管理人さんが服を洗濯してくれてアイロンがけしてくれて
共有スペースに置かれる。

その、洗濯し終わった服を各々取りに行くのだけど
最後まで私の服が5枚ほど見つからなかった。
ずっと誰かが間違えて持って行ったのかなと思って
(私もたまに間違えて戻しにいったりする)
しばらく戻って来るのを待ってたけど
それが帰ってくる事は無かった。



コーランには
「商売には正しい"量り"を使いなさい」
って書いてあって、
これはつまり、「嘘をつくな」って意味のはずなのに
正しく重さは計るけど、お釣りや単価は簡単にごまかしてぼったくろうとする
コーランの本質を分かってないコスイやつばっかり。残念だけど。

というか、コーランを読んだ事あるネシア人何%いるんだろう。

ぶっちゃけ「宗教」っていうのは都合の悪いもの(戒律とか)っていうのは浸透しないもんだと私は思ってしまう。





と、まあ
宗教に話が飛ぶまでムカつく訳ですから
食べ物の恨みって怖いもんです。


服、リュックのレインカバー、スプーンと色々盗まれたけど
ウインナーが一番ムカついた。

そんなわけで
パッケージに大きく「KURO」と名前を書いて
冷蔵庫に突っ込んだ。



今のところ食われてない。(グッ

2013年12月6日金曜日

後天的に矯正された三つの先天的なもの



ひさびさにいい文章がかけた。



先天性のものって、あるじゃないですか。
生まれた後に学ぶ、学習ではなく遺伝子で受け継ぐもの。

そういうのって、後の矯正によって変えられるものもあるわけですが
基本的に、先天的なものは「変更する」っていうのは不可能らしいです。
それは「矯正」でしかないそうで、「変わる」ものではないらしい。

でもそもそもよほど理由がないかぎり、
たぶん矯正するものっていうのは少ないと思ってたんですよね。

というか、こんなこと
日本にいる間は考えもしなかったんですけど。


でも、インドネシアだとそれを思うことがいくつかあるんですよ。
つまり、さっきいった
「よほどの理由」が、主に宗教的な理由から起きるんですよね。



今の所、気付いたのは3つ。




1つ目は 利き手。



世界では、利き手は右手の人が多い。
「不便だから右手も使えるようにしなさい」っていう親の意向で
利き手じゃない右手も結構使えるっていう話を、左利きの日本人の友達に聞いた事がある。

でも、インドネシアでは
握手したり、物やお釣りを受け取ったり、渡したりっていうのは「右手」じゃないと失礼なんですね。
右手は、トイレに行った時にトイレットペーパーを使用せず手を使って水で流すので
不浄の手とされているからです。
ご飯を手で食べる時ももちろん右手。
だから基本的に右手でやらないといけないんですよ。なんでも。

だから、日本だと
「あれ、左利き?」って、左利きの人がいるとすぐに気がつきますけど
こっちだとそれがないので、左利きは今のところわたしの周りにはいないし
もし居ても、気付きにくいっていうことですね。

冒頭の話から言えば、「左利き」が少ないのではなく
左利きだとしても、右手を使うように矯正されているっていうことになりますけど。





2つ目は 巻き舌。

ルルルルルルルルルルルって舌を巻いて言えない人っていますよね。

あれは、大抵の場合、舌の下にある部分と喉を繋ぐ部分が短いから起きるそうで
舌が長い・短いじゃなく、舌と、その元をつなぐジョイントが短いそうです。
正式名は舌小帯短縮症(ぜつしょうたいたんしゅくしょう)っていうらしいです。

巻き舌が出来ない理由っていうのは、もちろんこれだけが原因ではないんですけど
この、先天的な舌小帯短縮症に的を絞って考えるとする。

で、インドネシアっていうのはRの発音が、これでもかというくらい舌を巻くので

「あれっ、巻き舌出来ない子って、発音できなくねーか?」

と思ったわけです。

日本でも「舌足らず」なんて言って、滑舌の悪い人の事をそういいますけど
滑舌が悪いだけならまだしも
Rの巻き舌が出来ないと、Lに聞こえてしまうので
巻き舌が決して必須ではない日本語とは違い、
「母語が発音できない」
ことにならないか…!??
と思ったんですね。

なので、たまたま疑問に思った時に側に居たマレーシア人に聞いてみた。
マレーシアはマレー語が母語で、
マレー語っていうのは、ほとんどインドネシア語と同じなんです。
だからRの巻き舌が必須な言語なんですね。

マレー人「マレー人にも巻き舌出来ない子、いるよ。
私のいとこも巻き舌が出来なかったんだけど、何ヶ月も特訓したら出来るようになったわよ。
何ヶ月も毎日ルルルルルって特訓してた。」

ってことで、後天的に学習できるものらしいですよ。
とはいえ、何ヶ月って言ってましたから
そう簡単にいくものではないそう。

そんなわけで、
ネシア人、マレーシア人、そしてイタリア語も巻き舌必須言語ですから、
彼らの国ではもちろん
特訓があった上で、巻き舌が出来ない人はいない。ってことでした。




そして3つ目。

読み方によってはド下ネタですいません。

包茎 について。

すいません。でもマジでクソ真面目に調べました。

包茎には仮性包茎と真性包茎がありますよね。
仮性包茎は、剥こうと思えば剥けるほうで
真性包茎っていうのは、全く剥けないほうです。

そしてこれは先天性。
これに関しては、日本でも手術が一般的に行われてるものなので
個人の自由によって、手術のあと後天的に露茎(包茎の対義語)にすることができるわけです。


でも、インドネシアのイスラム教徒っていうのは
個人の自由ではなく、儀式で
「割礼」を行うんですよ。

キリスト教、ユダヤ教なんかでもあるんですが
実は色々と種類があるので、今回はネシアのイスラムの割礼に絞って話します。

ネシアの割礼っていうのはもちろん宗教的な意味が多く含まれてはいるものの
元の元をたどればイスラム教以前から行われていたものらしいので
ネシアの割礼を、イスラム教だから。って単純計算してはいけないそうなんですけど。

ただ、少なくとも
インドネシア人で男でイスラム教徒だったら
ほぼ間違いなく割礼されていると考えていい。らしい。
包茎だと、ばい菌が入って病気になりやすいだとか
神経を切る事によって感覚が鈍くなり、性欲を起こさせないようにするためだとか
色々な理由があるらしいんですけど
今はもう、そういう「割礼をする意味」のがまぜこぜになって、
「宗教上」というよりも、ほとんど「慣習」として残っているそう。
やって当たり前でしょ、っていう。


割礼って、聞いた事あるけど実際なんなのよって思ってたら
聞いても居ないのに、私をビビらせようとしてこの前男友達が割礼の話を前にしてくれた。

皮をちょっと切るんですって。

その時すでに、うわぁいてぇ と思ってたのですが

「そもそも、どこの皮の部分を、どう"ちょっと"切るんだよ」と思って
あとでネットで調べてみたら、全然ちょっとじゃなかったんですよ!!!


皮をびよーんと伸ばして先っぽから1cmくらいを

メスで

ザクッ

と皮だけを金太郎飴みたいに切り落とすらしい。

イ、イッテェェェ…

(割礼の仕方は色々ありますが、あくまでインドネシアではこのタイプ。)

ズボンのチャックに皮挟んじゃった痛みは女子の私に理解できなくても
この痛さは、もう……いっぎぃ!
たぶん目の前で見たら
クルバンの時と同じように貧血起こして倒れる気がする。


その友達が言うには
「僕は麻酔打たないでやったからすっごい痛かったの覚えてるよ。」


っ あ っ た り め ー だ よ ッ !!!!!(号泣)


その後3日くらいは、傷口がふさがるように安静にしてなくちゃいけないので
ずっと寝てるらしいんです。
でもその時、服を着ると擦れて痛いので、布をかぶせとくんですね。
で、布が直接その部分にあたらないように、
天井から紐張ってテントみたいにするんですよ。

ちょっとあの写真見た時は笑ってしまった…

二人いたら、こういう事ですな。


そう、そんなわけで
恐らく
90%がイスラム教徒のネシアという国で
包茎はまず居ないと考えていいんだと思う。

自分が男じゃないので、あんまり無責任なことは言えないんですけど
男の割礼はまだ「衛生的面から」っていうメリットが少なくともある。
(たとえ"ただの可能性"だとしても)

これはまた、長くなりそうなので次の機会になりそうだけど
割礼っていうのは色々なやり方があって
特に、女子の割礼っていうのは本当に非・人道的だし、なにより利益がない。
ないどころか弊害がデカい。

今年の3月に国連が、女子の割礼を禁止の法制化を求める決議案採択したくらいなので
ひでぇのなんのって、調べてただけで
貧血起こしましたが

かなりまた長くかけそうな内容になりそうなので
今度にします。



そんなわけで、今回は
後天的に矯正された、三つの先天的なものの話でした。


2013年10月19日土曜日

ネシア人の名前


最近、
インドネシア人の名前についてちゃんと考えるようになった。

今までは、ネシア人の名前が長過ぎて、そんなこと考えてる余裕無かったんだけど
最近、だんだん慣れてきたっていうのもあるし
ちょっと考える機会が何度かあった。

それは、私の友だちがどんどん妊娠し始めて来たから!(変な日本語)

ネシア人は大抵
muhammad ムハンマド
とか
Lukman ルクマン
とか
Satrio サトリオ
とか
Agung アグン
とか
この辺の名前が多いのです。
宗教上の人物や英雄などから名前を取っていたりしていて
ある程度"メジャーな名前"とか
"地方っぽい名前"っていうのがあるんですよ。
たまにアラビア語からもらってきてたりとか。
さすがに、地方っぽい名前は、私にはまだ区別がつかないのですが
muhammadあたりは本当に多い名前なので分かる。

でも、ネシア人の名前っていうのは
まず
名字が無い人が多くて
それでいて
大体3つの名前があるんですね。(決まってるわけじゃないですけど、平均的に)

私の友達、パンダは
プラナンダ・ルフィアンシャ・マラサン
といって
3つの名前を持っています。
彼はかなりの例外で、マラサンの名字を持っています。
まぁ、でも大体皆、名前はこういう感じ。

妊娠してる子に
「名前何にするの?」
とか話していると、皆まだ決まっていなかったんだけど
「そういえば、君の名前ってどういう意味?」
って流れになって、尋ねると
大抵皆、自分の名前の意味を知らないんですよ。

「あんたの名前ってどういう意味なの?」
「最初の二つの名前は、たしかお母さんが尊敬する人の名前だかなんだかで
最後の名前は確か"最後の"っていう意味、たぶん。」
「…超あやふやだな」

これなんかはまだ良い方。
他は皆
「え、なんだろう。知らないや。」
で終わる。

日本人からしたらあり得ないことですよね。
自分の名前の意味を知らないとか。
親に聞いても「よく分かんない」って答えられるらしいんですよね。
どういうことなのかさっぱりわからない。
もしかして、意味じゃなくて「音の響き」が大切なのかなと思って
そういうのを聞いてみたりもしたんですけど
全然そういうことじゃないらしい。
意味がもともと無いらしい。

しかも、ちゃんと名前の意味を知ってる人から聞いても
皆、すっごい変な意味だったりするのでびっくりします。

この前DIOに名前の話をしていたら
お母さんの名前の意味はちょっと忘れちゃったんですけど
お父さんの名前の意味が「眉毛(!!)」なんですって。
でもって
DIOの名前は
ディオの名前は
ディオラフマン・ヌル・イッヒサン
で
ヌルは、「光」って言う意味で
「DIO」はイタリア語で「神(!!!!!)」なので
なんだかもうわけがわからない。
「眉毛から神が生まれたんだね!」とこの前超爆笑しました。

人の名前って、
親の「望み」とか「願い」が込められている一方で
時にはただの
「親のエゴ」
にしかならないって私は思っているのですが
どちらにしろ、人の名前っていうのはすごく存在が大きい。
私はそう思います。

なので
すごく、価値観が揺るがされています。
今、とても。

こういうのって、漢字文化の人間だから理解できない
感覚なんだろうか。
漢字は意味を複数とれるから、意味が直接的じゃない名前も多い。
だけど、1つの文字(例えば英語)しか使ってない国は
全部直接的に説明できちゃうわけで、だからこそ日本人的な名前の付け方ができないんじゃないか。

自分の名前の意味を知らなかったり
そもそも意味がなかったりするのに
ネシア人が自分の名前に執着がないかっていうと、そうでもなくて
この辺はまだまだ勉強しがいがありそうです。

2013年10月17日木曜日

犠牲祭3


前回・前々回に引き続き、イドゥル・アドハについて。
まだ読んでいない人は、前々回の「犠牲祭」を先に読んでください。
ご興味があれば是非前回「犠牲祭2」も。

直接的なと殺の写真があるので、別リンクにしました。
読んでほしくて書いているので、読んでほしいのは山々なんですけど
こればかりは苦手な人の方も多いと思いますので
無理そうな人は見ないでください。


では、こちらから→どうぞ。
(別窓で開きます)

2013年10月16日水曜日

犠牲祭2


前回に引き続き、イスラム教の犠牲祭、イドゥル・アドハについて。

早速イドゥル・アドハの写真を載せようせようと思ったのですが、前置きが長くなりすぎたので、パートを分けて「犠牲祭3」の方で写真を載せることにしました。
今回はその長くなりすぎた前置き「と場」の話を。


私は、東京で「と場(家畜などを殺して精肉にする所)」を見学させてもらえる機会があって行った事があります。工業地帯で育ち、動物が肉になっていく過程を見た事がなかった私は「見たい」というよりも「良い機会だから」と思って行きました。見学の前まで「たぶんこれ見たらしばらく肉食えなくなるだろうな」 と思っていたのは私だけではないらしく、皆も同じように思っていたのは後になって分かる事です。結果的に、私たちは、見学後にビーフシチューを食 べに行きました。

なんというか、
見る前よりも肉に対するありがたみっていうのを、前より深く感じたんですよね。肉だけじゃなくて、そこで働いてる人とか、牧場の人とか。「有り難み」っていうと安っぽく聞こえてしまうかもしれませんが、単純に「残さず食べよう」とさらに思うようになったというか。
面白い事に、見た人間全員が同じ感想だったんです。ビーフシチュー食べながら「牛って美味いなぁ」って、牧歌的にしみじみと感じたんです。
あれは今思っても、ものっすごくピュアな感情でした。


見学から帰って来て、この感情を他の人に言葉で説明しても、
「うわぁ〜!「え〜やだ〜!」
とか言われてしまうので、こればかりは見た人しか理解できないと思うのだけど、それを分かった上でなお言葉で説明しようと試みるならば、東京のと場で見 たものは全然「グロさ」とはかけ離れていて、そこに居た職人さんたちの手さばきが本当に見事で、感動するくらいでした。

もちろんその死んで行く様は「かわいそう」なのだけど、それ以上に色んなものにありがたみを感じる。


「いただきます」の言葉の意味が直感的に理解できる。
そんな感じだった。


牛のと殺には、鉄の筒のような道具が使われます。この筒には槍のようなものが入っていて、衝撃が加わるとその槍が出てくる仕組みらしい。それで、牛の頭をガツン!と叩くと、牛が倒れるんです。あの巨体が一瞬でズドーンと倒れる様は圧巻。
動き回る牛の頭に正確に槍を打ち込んで行く。すごいです、あのテクニックは。数ミリずれただけで牛は死ぬことが出来ず暴れてしまうそうです。目の前にどんどん運ばれてくる巨大な牛をその筒一本で仕留める。これは本当に職人技としかいえない。
静物デッサンやった事ある人(特に最近)は分かると思うんですけど、牛骨モチーフの頭に穴が空いてるのは、そういう訳なんですよね。

そこからはもう早くて、ベルトコンベア式に運ばれ、皮を剥ぐ人と、肉を切り分ける人と、内蔵を分ける人とで分かれていて、機械的な美しさと職人さんの技の巧妙さが相まって圧倒されました。

本当に、見て良かったなって思えた経験でした。
今でも強く、そう思います。


そう、そんなわけで
私は、このイドゥル・アドハを
楽しみにしてたんですよね。

でも、結果から言うとね…

貧血で立てなくなりました(笑)。

頭では理解してるんだけど、多分体がついて行ってなかったんでしょう。
血の匂いとかにやられたのかもしれない。
捌かれてくのを見て、自分の中で血の気が引いて行くのが分かり、倒れこそしなかったものの顔面蒼白になって、立っていられなくなった。 


インドネシアのイドゥル・アドハはね……
東京のと場で見たそれとは全然違いました。


東京のと場で見たものは、非常に洗練された鮮やかな技が繰り広げられる、まさに「職人さん」と「機械」の世界だったんだけすけど、ネシアのそれは、ものす ごく生々しさに満ちあふれた、なんていうか、そう……「犠牲祭」なんですよ。「犠牲」にする「祭典」。目的は「捌く事」ではなくて「犠牲にする」ことに重きが置かれている。
そこには私にとって残酷さがあって、なんというか上手く説明できないけれど、食用にするために必要なプロセスではない行程のように思えました。


そんな、イドゥル・アドハで動物たちがと殺されていく様を見ながら強烈に思い出したのはスルバランの「神の仔羊」。それはやはり目の前に写る「犠牲」の姿が色濃かったからなのでしょう。


 『神の仔羊』 フランシスコ・デ・スルバラン

スルバランの絵は、ベラスケスに比べるとなんかパッとしないというか印象に欠けていて、好きな作品あまり無いのですが
この絵だけは私にとって別格。
なんか、神を信じていない私が言っても説得力ないですけど、ものすごい神々しさがあるんですよね。
「ラス・メニーナス」とこの「神の仔羊」が観たくて行って来たプラド美術館では、事前に図録で見た感じよりもなんとなく違和感があった。
「なんかすごい中途半端なサイズだな」と思ってちょっとモヤっとしたんですけど、
この半端な比率というのが自分の中には存在してこなかった比率なので不安を煽るんです。
「従順」という言葉がしっくりくるような、
この明暗の対比がすばらしかった。

この絵を最初にプラド美術館で見たあの
なんとも言えない感情を思い出す。




というわけで訳で、
興味のあるかたは

次で、どうぞ。

2013年10月15日火曜日

犠牲祭


※ 今回は犠牲祭の写真は無いのでご安心ください。



そう、長期休暇最後の日、イドゥル・アドハ / Idul adha。
どうしても見たかったんですよね。


イドゥル・アドハとはなんなのか。
簡単に言うと、お金持ちが牛やヤギを買って、普段肉が食べれない貧しい人たちに施す日です。
大人の事情で重複内容の記事が書けませんが、詳しく知りたい方は「まくびー」さんの方で書かせてもらった「犠牲祭」の方で読んで下されば幸いです。

そんなわけで、
イドゥル・アドハ。
別に1人で見に行ってもよかったのですが、イドゥル・アドハはモスクで行われるので(全てではありませんが)、非・ムスリムの私は躊躇する。
皆に「イスラム教徒じゃなくても大丈夫だよ」と言ってもらっても不安なもんは不安です。

何人か誘ってみたけれど、
子供のときに犠牲祭を見たショックで現在までお肉が食べれなくなっちゃった子とか、
キリスト教徒なので参加する必要もないしあえて見たくも無いっていう子とか、
見たくないんだけどホストファミリーに強制的に連れてかれちゃうから一緒に行けないとか、
なかなか前日まで行く人が見つからず……。


もう1人で行くかなと思っていたところ、前日になって
「あ、そうだ。この子なら絶対一緒に行ってくれるな」
と思い、ジワに連絡。すると
「クロ、明日はお前のKATANA(刀)をもってこい。明日は血が流れるぜ~~!ウヒヒィ!」
と返事が返って来たので
「なんなの、あんたバカなの?」
と返したが、とにかく一緒に行ってくれることに。


前日の14日、夜7時頃から、いつもなら10分程度のアザーンが鳴り止まず、朝の2時か3時くらいまで何時間もずーーーーっとやかましかったのですが、後で聞くと、それはアザーンではなく、クルアーンを最初から最後まで朗読していたそうです。
インドネシアでは Mengaji( “クルアーンを読む” の意)というそうで5時間も6時間もかかるらしい。今回のイドゥル・アドハを含め、イスラムイベントの日は前日からクルアーンを流すのだそうです。




というわけで、15日、犠牲祭。


2013年10月15日(火)
朝の6時~7時まではムスリムにとってお祈りの時間。その後に犠牲祭が始まります。
朝6時半にジワから「起きろ〜!」と連絡がきて目が覚めました。

さっさと着替えて外に出て、いつものように乗り合いバスのアンコットに乗ろうとするも道路が空っぽ。いつもならば早朝から凄まじい交通量の車なだけに異様な雰囲気。


見ると、道が封鎖されている。ロープの向こうには、たくさんのムスリムが道路に。
みんなでムアッジンのお説教を聞いている。




私はパッと写真を撮っては、隠れるようにしていたのですが私はめっちゃくちゃ目立っていました。ありがたいお話を皆で聞いているのですが、色んな人がちらっちらこっちを見て来る。

「こ、このロープって超えていいのかな?」
「ムスリム以外入っちゃ行けなかったりする結界的なものだったらどうしよう?」と大変悩みましたが、ここを通らないと相当な遠回りを強いられるので思いきって入ってみる。
入ってみると、ロープの外からはよく見えなかったけれど、男性の群れの後ろに女性がずらっといるのが見えた。
やっとその群れに参加をしていない人を見つけ、「こ、これ渡ってもいいんですか?」と聞いた上で女の人の前を通過。



内心ドッキドキでした。1000人以上は居たのかな。

とにかくアンコットが動いていないので歩いて学校まで。
車もなくこの通りすっからかんで、空気もとても澄んでいて散歩には最高でした。非・ムスリムであろう人たちがここぞとばかりにポタリングを楽しんでいる様子も見れました。

いつもと景色が違うー!

大学についてみると、大学もこの通り。
大学の目の前にも大きなモスクがあるのですが、モスクに入りきらないものすごい数の人々が学校に集まっていました。


7時20分頃、やっとお祈りが終わる。

ジワと落ち合って、ひとまず朝ご飯。
朝ご飯を食べた直後にと殺見て吐かないか不安になりましたが、貧血で倒れないかの方が心配だったので、とにかくご飯をしっかり食べました。

朝食を終えて、すぐ裏手にあるモスクまで移動。
そこには牛やヤギが、のほほんとそこにいました。


この子たちがこの後お肉になります。

ひとまず今回はこれで。
続くよ!

2013年9月12日木曜日

コーラン



友達が送ってくれた
コーラン上・中・下。
ちまちま日本でも読んでいても未だに上の半分程しか読めていないのだが
だんだんコーランの意味が分かって来たように思う。

日本に帰った時に友達に「今、コーラン読んでんだ~」っていうと
意外に「コーランってなに?」
って言われる。
コーランとはイスラム教のバイブル、聖書のことですよっ。
雑に言うと、アッラーから啓示を受けたムハンマドの言葉を、書記がまとめたものです。


コーランをちょっと読んでみて、最近ものすっごく思う事。
「なんでムハンマドはコーランに"ゴミをポイ捨てするな"って書かなかったわけ?(怒」
これにつきる。

読んでる間は基本私はムカついている。笑
イスラム教ってすげぇ自分本位じゃね!?
とイライラする。
『断食した日数分の人数だけ死後に処女とセックスが出来てその処女膜は常に回復をするのでいつまで経っても処女』
とか。

…チッ、中2病の方が全然かわいいわ

本ではなくて、先にイスラム教徒の「人となり」を知っていてよかったと思う。
そうでなければイスラム教徒と関わりたくなかったとおもう。
バカかと。(すいません

まぁ表面的な所しか私にはまだ読み解けてないっていうのはあるに違いないけれど。

それでも読んで行くと、
なんというか、ものすごく当たり前の事が沢山書いてある。
年寄りは敬え、親は大切にしろ、貧しい人には分け与えろ、なんてこと。
そういうものっていうのは
私は「親や学校や地域での教育」の範囲に入ると思っていたのだが
この国ではそれが宗教であるだけで。

イスラム教徒っていうのはコーランに書いてない事は
全然やらない。
なぜムハンマドは
「レジに並ぶ時は順番を守れ」とか「時間は守れ」とか「女子に体重を聞くな」
って書いてくれなかったんだ。

どんなに人柄が良い人でも、ゴミのポイ捨ては当たり前、順番を待つなんていう概念がない。
そいうのは私たちにとっては「モラル」とかの範囲に入ると思うのだけど
彼らにとってのモラルっていうのは、作り上げるものではなくて与えられるものなんだと思う。

でも、
コーランの書いてある言葉の
本当の意味というか
意味の読み取りっていうものが
結局のところ高等教育がなされている人にしか理解できてないんじゃないかと思う。

なぜ、ゴミをポイ捨てしはいけないのか。
→それは町が汚れるから。
→汚れる事によって私たちの衛生面に影響がでるから
→それによって病気になったり、環境問題に影響がでるから
っていう、「方程式」を全っく理解できてない。

私の大好きなコメディアン、ラーメンズの「不透明な会話」のコントで
「赤信号は赤だから止まるんじゃない、危ないから止まるんだ。
青信号は青だから進むんじゃない、青でも危ないなら進んじゃダメなの。
ルールを守るという事は、その言葉の表面にだけ従うという意味ではない。
大事な事はそのルールが持ってる本当の意味を理解するってことなんですよッッ!
」
http://www.youtube.com/watch?v=EKT5wAkenEA

っていう台詞がある。

まさに、これだと思う。
そもそも、インドネシアには社会的ルールが無いと思う。
なぜならそれはコーランに置き換えられているから。

日本ではそういう人は稀だが、いる。
前に長期で集団行動しなければならないときがあって
必ず毎日質問してくる子がいた。
その子の質問が毎回質問の問題の「根源」が一緒で、うんざりした。
「あなたの質問さ、初日にいった"プライオリティ"を考えれば全部自動的に回答得られるよね!?」
って後半の方、毎日言ってた。

そういうこと。
本当の意味、問題の根源が理解できてない。
病気に対する知識があっても、他の人に与える影響が理解できないから
インフルエンザにかかっても普通に学校にくる。(これ本当にあった話)

インドネシアではまだ教育がしっかりしてないので
充分な教育を得られてない人たちがたくさんいる。
それでも、そういう人たちが最低限なんとか教育と呼べるものまで、
人が他の人と共存するための要素を得ることができるのが
コーランなんじゃないかと
今のところ思っている。



ところで、この前ちょっと友達関係に悩んでいた時に
夢で

「"許可"をしなさい。
許可をするということが受け入れること。
許可されるということが受け入れられる事です。」

とビジュアルも無い何者かに言われ、
なんかうちもアッラーから啓示受けちゃったかも…と起きてからハッとしたという。
アッラーが日本語喋れるのか知らないけど。

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