2016年4月18日月曜日

そういえば、本出てます。


そういえば、
あまり人に言っていないのですが、

本、出てます。


『旅の賢人たちがつくったアジア旅行最強ナビ 単行本』
丸山ゴンザレス&世界トラベラー情報研究会・編


去年2015年の12月に出まして、
私も3pですが、原稿を書かせて頂きました。


勝手に泊まり込みで弟子入りの旅(p106、107)
インドネシア旅の落とし穴(p234)



なぜ半年も前のことを今更……!とお思いかも知れませんが、
なんとなく出版されて自分の名前と原稿を見ても現実味が無く、
そして最近の私の困ったところなのですが、
「本を出したい」という私の夢が叶ったにも関わらず実感が湧かず
特に人に言いまくるでもなく、
そしてこんな日になんとなく告知になってしまいました。


事の経緯は去年2015年の5月だったかな。
日本に帰ってきて2週間くらいしか経ってなかった時に、
友達の紹介で、この本の編集者であります「丸山ゴンザレス」さんからご連絡を頂き
アジア旅行記を出されるとのことで、インドネシア枠で誘って頂いたのでした。
今はテレビでもよく出演されているそうなので
ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。

原稿を今まで書いたことが無い初心者の私に、
書かせて頂いたこと、本当に有り難く思っています。


今私は雑誌の編集者として働いていて、
今でこそ毎週原稿を自分で書いていますが、
入社する前だったので、初原稿といえるものでありました。
出版されるのはそれから半年以上後のことになりますが、
雑誌ではなくて、念願の書籍という形で初めて出版されたのがこの
 『旅の賢人たちがつくったアジア旅行最強ナビ 単行本』
になります。

本は、実際にアジアに住んでいる人や
住んでいた人が、その場所についての原稿を書いていて、
いわゆる旅行記とは違い、実践的な内容になっているので
これから旅をしようと考えている人は
正しい情報も含め、誰も教えてくれない生の情報が知れるので
面白いと思います。


私の担当は3pだけなのですが、
リズムとか、内容の面白さに重点を置いているこのブログの文章とは違い、
とにかく読みやすくて理解しやすい文章を心がけて
何度も何度も書き直ました。
既に読んでくれた友達には、
読みやすくて頭に入ってくると褒めてもらえて嬉しかったです!


内容は、勝手に泊まり込みで弟子入りの旅(p106、107)




に関しては、
既にこのブログでも書かせて頂いている
タシクマラヤという田舎で竹職人の家に泊まらせてもらうという内容から、
メインとしては、このブログではこれから書こうと思っていますが、
スンバ島というバリよりも東側の小さな島で
染めの技術を見せてもらいながら家に泊まらせて頂いた経験のことを書いています。

インドネシア旅の落とし穴(p234)

これは、インドネシアの薬局の話ですね。
いわゆる日本でいう「第一類〜第三類医薬品 」のような
薬の強さについて書いています。
あとは裏テクニックについても少し。
 

ということで、
もし本屋で見つけたら、
是非立ち読みしてください(笑)


今更すぎる宣伝でした〜!


2016年4月11日月曜日

魅惑のアルンアルン一気見せ その②


記事が長くなったので
ふたつに分けています。

「その①」を先にどうぞ。
今ご覧になっているこのページは「その②」です。

幾何学模様(や曲線の模様)と並んで
偶像崇拝禁止のイスラム教ならではの装飾は「文字」
カリグラフィーで美しく模様のように描いたりすることもあるそうですが
ここのモスクは比較的現代的な様式だと思われます。
文字(アラビア文字)まで直線 で描いていて、
一見するとただのパターンだと思って見過ごしてしまいますが
よく見るとひとつずつ違うんです。

間違い探しみたい。
下と比べてみると微妙に違うの、分かります?

これはたぶんアラビックを
崩してる(むしろ整えているというか……)
デザインだと思うんですが、どうでしょう?

バンドンの市長であり、
私の通っていた大学(ITB/バンドン工科大学)の建築学科の卒業生でもある
Ridwan Kamil(リドワン・カミル)氏が設計した
モスク「Masjid Al-Irsyad(マスジッド アル・イルシャド)」も
外観はアラビア文字からデザインされた模様で覆われています。

美術館みたいな見た目ですね。

画像出典 : https://id.wikipedia.org/wiki/Masjid_Al-Irsyad

中の部屋の構造としては、
調べてもちょっと名前が分からなかったのと、
すべてのモスクがそうではないと思うのですが、
入ってすぐに、横に長い通路があり(そこにクロークなどがある)
すぐ目の前のドアをあけると大きな部屋がある。
しばらく歩くと扉があって、その先にもっと大きくて天井の高い部屋があります。
どちらもグリッドが引かれていることからわかるように
イスラム教徒がそこで礼拝を行う場所であることは確かなのですが、
間に仕切りがあるのは何故なのか、
それは恐らくイスラム建築の構造に理由があるのかもしれません。

まず、入り口を入ってすぐの部屋。

中から入り口に向けて撮影したもの。
天井に、丸いところありますよね。
写真だとフラットに見えますが、
真ん中の光が前後左右に漏れる方向を見てもらうと分かるのですが、
これ大きく内側に湾曲してるんです。

そうすると何かというと、
真下に立って普通の音量で会話をしただけでも
部屋中に ぶわわわぁぁぁぁっ と声が広がります。
体育館で「あー!」って言うと壁に跳ね返って聞こえる、
あのコダマのような反響の仕方ではなく、
徐々に徐々に声に広がりがでるような感じで聞こえるんですね。
そうすると、この場所に居ても
(一番置くの部屋で説教をするハティーブからは200mくらい離れた場所)
声が跳ね返って聞こえてくるんじゃないかと予想します。

その、ハティーブがいる一番奥の部屋の天井も
ドーム型になっていましたね。


外から見ると、
"モチを真上から爪楊枝で挿して、すーっと引き抜いた時にぎゅうひがくっついてきた"
みたいなドーム型の形状は、この内部構造があるからだとわかります。

さて、目線を下に戻すと、
 ここが、ハティーブとか、
イマーム(アザーンを行う人)が立つ
建物内の一番正面の部分につきあたります。

正面一番奥、ということは
これを正面とした方向に
イスラム教徒がお祈りを捧げるギブラということです。


もちろん、私がお邪魔したときは
礼拝の時ではないので教徒しかいませんでしたが、
円弧の真下にある階段つきの小さなものがあります。
これが「説教壇」で、ここに登ってイマームが説教するみたいです。

ここでの説教が、ドーム構造が助ける形で
壮大な響きの声となり、この部屋全体に響き、
そして入り口に近い手前の部屋まで響くわけですね。
私のカメラではこのスケール感、伝わりませんが
建物入り口入ってから、この奥の説教壇のある場所まで
成人が普通の速度で歩いて1分以上はかかりますので、
建物内だけで、Sajadah(サジャダ)を1人1枚しっかり敷いても
1万人以上は軽く入るでしょう。

でもね、
私気づいちゃったんですよね。

緑の光が真ん中で四角く遮られていますよね。
その四角の真下、緑の光が始まっているところ、
よーーーーく見て下さい。

エアコンですよ、エアコン。
快適〜!

というわけで、
魅惑のアルンアルン編でした。

現地に居た時は調べようとも思わなかったけれど、
ちゃんと調べてみると面白いことばかりでした。

魅惑のアルンアルン一気見せ その①


さて、
1ヶ月に渡り休みをとってしまいました……。

1ヶ月前の「魅惑のアルンアルン」に引き続き、
やっと、「魅惑のアルンアルン一気見せ」 ということで
アルンアルンのモスクの中を見ていきましょう。

大分記事が長くなったので
ふたつに分けています。

今ご覧になっているページは「その①」です。

真夜中にこんなに普通の人が集まってることは
あまりありません。
(しかも宗教建築内という性格上、夜中でも比較的治安はいいはず)
「AA会議60周年記念」だからこその盛り上がり。


そもそも、外国に住んでいる時は
特に慣れてきてからがそうなのですが、
最初は大量の情報を一生懸命受け取るのですが、
少しずつ言葉や環境に慣れてくると 、
自分にとって必要な情報と、覚えなくてもいい情報を
しっかり分けるようになります。

なので、この写真を撮った時には
ただ目に見える珍しいものに対してシャッターを押しただけで、
別段それが何なのかが気なっていなかったことが、
今になって知りたくなりました。
なので今調べた上でのお話なので
間違っていたら訂正してください。


まずは、外観から。

このアルンアルンにあるモスクの左右に2本そびえ立つ棟。
これが、「ミナレット(Minaret)」と呼ばれる物で
イスラムの宗教建築に付随するものだそう。
町中に爆音で流される「アザーン(お祈りの前の呼びかけ)」が
スピーカーから流れてくるんですね。

空港の管制塔みたい。

さあ、中に入ってみよう。

入ってすぐにあったのが、
"Tempat penitipan sepatu/sandal"
つまり、「靴/サンダル置き場」です。
荷物預かり所はないのに、
靴預かり所があるあたり、ムスリム。
(普通みんなお祈りに来る時は、
仕事場や、自宅などでユニフォームに着替えて手ぶらでくるから。
お祈り前には身体を水で清めてからサンダルでくるので。)


イスラム教のことをよく知らない人でも
イスラム教では偶像崇拝を禁止しているといことは
比較的よく知られている情報なんじゃないかと思います。
つまり、アッラーを形にした銅像であるとか、絵画とか
アッラーやムハンマドでなくても、
そのストーリーとかそれを感じるようなものも駄目なわけで。

そういうわけで、
モスクというものは
中はすごくガラーンと体育館みたいに殺風景なところも多いんですよね。

床にはグリッドが敷かれていて、
そこの1マスの中に各自家から持ってきた布を敷きます。
まず身体を水で洗って清潔にした後に、
清潔な場所でお祈りする必要があるからです。
これはSajadah(サジャダ)という小さなカーペットのようなものなんでけど
大きさが決まっているので、その大きさに合わせてグリッドがひいてあるというわけ。


ここは横ラインだけですが、縦ラインも引いて
マス目になっているところも多いです。



 
 
ただ、こうしたalun alunのように大きいモスクは
もちろんお金がかかっているわけで、装飾的な部分も多いんです。
でも偶像崇拝が禁止されているので、
いわゆるキリスト教の教会のように、
マリアさまの絵が書かれたステンドグラスや聖人の銅像があるというわけではなくて、
幾何学の直線的な線の組み合わせで出来た模様で装飾が施されています。

すべてのイスラム建築が
こうした幾何学模様で作られているわけではないそうですが
こうしたものは「アラベスク」というそうです。
「アラベスク」と聞いて
♪ラシドシラッ ラシドレミッ レミファソラッ ラシドレミッ
が頭に流れてきたのは私だけではないはず。


夜のアブさん
こんなに装飾的なモスクは
バンドン中探してもここくらいだと思います。
 
基本は幾何学ですが、
中に描かれている絵は
植物的な曲線ラインでも描かれていますね。

基本的に幾何学の模様は
繰り返しのパターンが多いですよね。
モスクの入り口の門を
「ビシュターク」と呼ぶそうです。
ビシュタークも美しいタイルなどで
模様が構成されています。
(何度も言うようですが、こんな綺麗なモスクはまず無い)
アップ写真

偶像崇拝禁止のイスラム教で「装飾」と呼べるものが
もうひとつあります。

その②につづきます!

2016年3月14日月曜日

おやすみ


今週は、
気持ちが多忙につき
おやすみします。




こちらであくせくと忙しくしていると、
思い出の中のネシア人の友人から
いつも怒られてしまいます。

「Santai kuro.」

日本語で体感的にしっくりくる訳が思い浮かびませんが
英語でいう "Calm down" が一番近い気がします。
落ち着きなよ、というのとは私にとっては
ちょっと受け取り方として違うんですよね。


「Istirahat kuro.」
  ちょっと休みなよ、クロ。

でもないんですね。

「Santai(サンタイ)」。


しかもいつも、
「忙しくて大変そうだね」
という哀れみや気遣いの表情ではなく
年上からも、年下からでも
ちょっと怒られ気味に、諭されるように言われます。

今はいろいろなことで大変切羽詰まっているので、
日本タイムで生きている私には
たったいま Santai するわけにはいきませんが、


ブログは Istirahat(お休み)します。


それではまた来週!
Sampai minggu depan lagi semuanya!


2016年3月7日月曜日

魅惑のアルンアルン



ALUN ALUN(アルン・アルン)がずっと気になっていたんです。


でも、ずっと入ったこと、無かったんです。
だだっ広い土地が何年もずーっと工事中で、
ただ高くて白い塔がズドーーーンって建っていて、
私が帰国する直前の2015年の2月くらいに
やっと解放し始めた、そんな記憶です。

画像出典 : http://lampung.tribunnews.com/2015/06/17/ridwan-kamil-isi-tausiah-dengan-program-kesehatan-di-bandung

上から見た、アルンアルン・バンドン。

ALUN ALUN(アルン・アルン)って、
エリアの固有名詞だと思ってたんですよね。
「公園」が、taman(タマン)なのですが、
ALUN ALUN(アルン・アルン)は「広場」という意味だということは
さっき調べて初めて知りました。

画像出典 : http://www.skyscrapercity.com/showthread.php?t=1566353&page=14

夜のバンドンのアルンアルン。
「バンドン広場」と言えばいいのか。

正しい情報はもう忘れてしまいましたが、
「アジアアフリカ会議(AA会議) 60周年式典」を前に、
 1955年の4月18日にバンドンで第1回AA会議が開かれた際に会場だった
Gedung Merdeka(グドゥン・ムルデカ)の建物を目の前に位置するこの場所に
このALUNALUNが整備されたのではないか、と思います。


この、AA会議については、
別のブログで書いている私の文章を引用すると……

アジア・アフリカ会議(略してAA会議)って聞いた事、ありませんか?
1955年の4月18日に、バンドンで開かれたのが第1回AA会議で世界初と言われている非白人国家だけによる国際会議のことです。
もちろん当時、日本も参加しました。「第1回」といっても、第2回以降は実施されなかったためアジア・アフリカ会議は、バンドン会議とも呼ばれます。
引用 : まくびーず「アジア・アフリカ会議60週年式典」

ということで、
このバンドンの地で、60年という時を経て、
有色人種による式典が2015年4月に行われたというわけですね。

街はもう、お祭り騒ぎ。

各国の首脳の顔パネルが置かれたり
なんか、文化祭っぽい。
阿部さんも来尼していたそうですが、
似顔絵は見つけられなかったなぁ。
Gedung Merdeka(グドゥン・ムルデカ)周辺と、
各国首脳が通過する空港〜建物の道のみが整備され
綺麗になった景観を楽しむひとびとでいっぱい。
真っ黒な水とゴミが流れる川に関しては、
建物周辺は徹底的にゴミが除去されていてびっくり。

バスでのみ通過する川に関しては
パネルで塞がれてバスからは見えないようになっていたり……と
偽装工作がたくさん行われていました。(笑

これらの写真は、私の記憶だと、
AA会議式典の4日ほど前だったと思うのですが
夜中の11時頃にしてこの騒ぎ。

日本と違って治安が良くないインドネシアなので
真夜中に健全な人々がこんなに沢山にぎわっているなんて
ただ事ではありません。

いつでもどこでもnongkrong(ノンクロン/暇つぶし)
巡回してるのか、遊んでるのか。

バンドン市民にとって
世界中の人が集まってくることは
楽しいお祭りであるかのような
そんな印象を持ちます。

私も、この式典に便乗して入国した外国人だと思われて
かわいい女子中学生諸君から一緒に写真撮影を頼まれたりして
みんなの高揚感が伝わってくる毎日でした。

人が多い夜は
散歩してても怖くないからいいですね。

カップルもいちゃいちゃ。
家族もわくわく。
 
アルンアルン内部は本当に綺麗に整備されて
花壇もなんだか立派な感じです。

そして、やはり極度にキメて
ポーズを撮りたがるのがネシア人。


アルン・アルンは最初に申し上げた通り大きい広場となっていて、
広い敷地内に人工芝が敷き詰められているエリアになっていました。





画像出典 : http://m.covesia.com/berita/5366/tampilan-baru-kini-alun-alun-bandung-semakin-memikat-pengunjung.html

お昼にくるとこんな感じ。
画像出典 : http://ayobandung.com/read/20160101/61/6152/bom-tak-surutkan-warga-ke-alun-alun-bandung

かなり広い面積だということが分かるかと思います。

画像出典 : http://www.jurnalposonline.com/?p=2021

やはりハズかしげも無くセルフィー。

奥の方にものすごく大きいモスクがあって。
私、モスクって入っていいよとは言われていたんですけど
最後の最後まで入らず仕舞いだったので、
せっかく入るなら、バンドンいちデカイ(であろう)
アルンアルンのモスクに入りたいぜ!

ということで、次回、
インドネシアでの生活、

最初で、最後の
モスクです。

 

画像出典 : http://ica2016-itb.org/index.php/general-information/local-attractions/

ただひたすら写真アップという感じですが、
次回は知られざる、モスクの中、公開です。


では!

2016年2月29日月曜日

無くしたもの


インドネシアで、
失ったものがふたつ、あります。



ひとつめは、「視力」。


ぼんやり……

子どもの頃から視力はとても良く、視力検査ではいつも「2.0」。
小学生の時からパソコンをよくいじっていて、
大学卒業するまでに少しずつ落ちたけれど
それでも「1.5」はありました。

そして、帰ってきて気づくのは
視力がガクンと落ちていること。

向こうにに居たって気づくだろう、と思うかもしれませんが
漠然と、落ちたな。という程度で
まさか「0.3」まで落ちているとは思いませんでした。

何故日本に帰ってきてそれを実感したのかというと、
それは、とても単純。文字情報の多さです。
街に溢れる看板の文字を読もうと思っても読めないのです。
バンドンと比べた時に、
東京の街の中にあふれる文字情報がいかに多いのかを知りました。

そもそも、何故落ちたのかというと、
部屋の中が暗いからですね。
それに尽きると思います。
日中、太陽が出ているからという理由で
教室内は電気を付けないためぼんやり薄暗く、
友達の家に行けば、これまた不快感を感じるほど暗いのです。
かれらは本を読まないため光量は少しで良く、
また、電力の供給が足りずにしょっちゅう停電をする街なので
電力をなるべく使わないというのが身体に染み付いているようです。

大学の先生の家に泊まりにいった時にも
その暗さは学生の部屋のそれと変わりませんでした。
ただ、勉強をする机にだけはデスクライトがありました。

「電気」 
でも少し書いていますが、
そんなわけで
短時間で目に見えて目が見えなくなるのを感じ
帰ってくる頃には、しっかり落ちておりました。

眼鏡は作りましたが
長年かけてこなかったので掛け慣れず……
未だに裸眼で過ごしています。





そして、ふたつめは「土踏まず」。


私の身体で唯一誇れる部位だったのに……
土踏まずがかなり無くなりました。
この場合、土踏まずが「出来ました」、とでもいうべきなのか、
つまりは、扁平足に近くなりました。

視力と同じく、
もともと土踏まずはかなりある方で、
つまり、地面に設置する足の部分が極端に少なかったのです。
それがどれくらいかというと
靴の中敷きの隆起した部分が触れなかったくらい。

それが、帰ってくる頃には
ほとんどぺったり。

日本でも、向こうでも
運動嫌いはかわりませんでしたが
「歩く」という当たり前の行為があまり出来ないのが原因だったかと思います。
その理由は、
歩道が整備されておらず危ない。であるとか、
日中はとても暑いので外を出歩くと身体に良くないとか
散歩すると光化学スモッグで体調を崩すとか、
夜は治安が悪いので出歩けないとか、
そうしたことで無くなっていったのだと思います。
運動が嫌いでも、日本では自然に歩いていたんだな、と。


視力もそうですが、
かなりショックでして、
靴のメーカーさんにこの話をしたところ
「崩れちゃった足は戻りませんねぇ」
とさらりと言われ、
「崩れる」という表現にさらに打ちのめされました。



今まで暮らしていた環境とは
全く異なる環境で暮らすことで失うものがあるのは
ごく当然のことかも知れません。

どうせ、人が生まれて死ぬまでに
失うことの方が多いと思うし。


じゃあ、逆に何を得たのか? というと
……三半規管が鍛えられたこととか……?

「三半規管」 



うーん……

ウーン……、悩ましい、悩ましい。


2016年2月24日水曜日

時間


再始動します。
の記事の中で、わたしはこう書きました。

わたしは、日本に本帰国して9ヶ月なのですが、
9ヶ月とは思えないほどにぎゅっと詰まった時間で、
それは「充実した」とか「長い」とかいう表現とはまた違い、
ただただ、9ヶ月には思えない時間だった、という風にしか表現できない。


これは、何だったんだろう?
と考えていると、この1週間で言語化できたように思うので
書いてみます。

それは例えば
1週間を、1週間として感じられる。
そういうことなんだと思います。

楽しい時間は早く過ぎるし、
辛い日々は長く感じる。
だけど、今は、1日を1日としてしか感じない。
1ヶ月が過ぎると、「ああ、1ヶ月だったな」と思う。

向こうに居た時は、いつも早すぎたり、遅すぎたりしていた。
そして振り返ってみると、
人はたった2年間という期間で
これだけのことを体験できるのか、と思える程
2年には思えない、2年だった。



そして、今、9ヶ月が9ヶ月でしかない。
それが、良いのか、悪いのかといえば
わたしにとっては悪いのだと思う。
自分次第で早くも、遅くもできる時間の流れを
ただあるがままに享受しているだけのような気がしてしまう。


ネシアには
「Jam karet」という有名な言葉があって、
「時間はゴム」という意味です。
これは、時間に非常にルーズなネシアの時間に対する考えを表していて
外国人が彼らのスタイルを形容するのにもよく使われます。


これは、ジョーク的に、
彼らは肯定的に、そして自虐的に
でもやっぱりネガティブな意味で使われるのですが
まわり回って、今のわたしには
妙に腑に落ちるのです。


Jam karet.
毎日が中学生の時のような流れで進んでいた時。
手前左からMia、後ろがKijing、真ん中の坊主がJiwa。

真夜中にいい大人がなにをやってたんだろ。笑


2016年2月22日月曜日

辞書


「インドネシア」の漢字表記って知ってますか。


アメリカは米国。
イギリスは英国。
フランスは仏蘭西で仏国。
イタリアは伊太利亜で伊国。
ドイツ語は独逸で独国。


インドネシアは……、印度……、印国?
いや、それじゃあインド(India)だしな。というわけで
正解は「印度尼西亜」だそうです。


……なんか、暴走族の特攻服がパッと思い浮かんだのは
私だけでしょうか。
明朝体で「 印 度 尼 西 亜 」。



そうするとネシアは「尼」なんですね。「尼」国。
わたしも知りませんでした。
あ……あまこく? ではなく、 ”に” こく。
尼国(にこく)。
尼語(にご)。

日本語でネシア語を調べる辞書なら、日尼(にちに)辞書。
逆でも「にちに」ではなく、尼日(ににち)辞書。

漢字は一瞬見ただけで記号的に理解できるから
字面で見ると分かりやすいけど、
声に出すと分かりにくいものです。



私があちらに滞在中、
学校に行く時や、予備校に絵の指導に行く時に
かならずリュックにいれて毎日持ち歩いていたのが、
まず「電子辞書」(国語辞典、英和、和英、英英辞典が入ったもの)。

それに加えて、紙の辞書が2冊。
「日尼」と「尼日」です。

日本から持っていった
『現代インドネシア辞典』末永晃、関伊統 編

現地で購入した
『KAMUS STANDAR BAHASA JEPANG - INDONESIA』GORO TANIGUCHI

この「電子辞書」、紙の「日尼」「尼日」の3つのセットを
毎日リュックに入れて持ち歩いていました。

ダイエットかっつーの。



辞書は、出国前に
結構な時間をかけて「何を持っていくか」を悩んだもののひとつ。
インドネシア語対応の電子辞書を店頭に見に行ったり、
アプリを使う為に、持ってなかったスマホを買おうかなと思ったり。
すごく悩んだけど、結局日本から持っていったネシア関連の辞書は
この小さな緑色の「尼日」一冊でした。


約2年居て、
「尼日」には本当にお世話になったけど、
紙とか、電子辞書とか、アプリとか、それこそ色々あるけれど
何がベストだったか、というのは
正直、未だによく分かんない。

調べるものというよりも、読み物的な要素がある「尼日」だったかな。
例文は載ってませんが、
関連用語が載ってて勉強になりました。

というのも、辞書で調べても載ってないことの方が
圧倒的に多かったんです。
でもそれは、この辞書の問題というのではなく、
ネットの辞書を使っても、そうだったので、
問題は別なところにあるように思います。


それは、
地域語の多さからくるものなのか
そもそも言語が体系化されていないからなのか……
どちらともだと思いますが、
毎日辞書は持ち歩いて毎日開いてたけど
「あってよかった!」っていう記憶はあまりないんですね、今思うと。
探しても、"載ってない"なんてことは
英語の辞書ではあり得ないことなのですが
ネシア語は本当によくありました。


でも、意外に困らないものです。
ネシア人というのは、
宗教的な考えから、
弱いものを救ったり、困っている人を助けたりするのが
当たり前に身体に染み付いているので
私が
分からないものに対してはとことん教えてくれるから。

辞書で学んだことも、最終的には
現地民の教えで全部上書きされちゃうんですよね。
だから、あんまり活躍したっていう記憶がないのかな。


この「尼日」は現地で買ったのですが
デカイわ、重いわで……
紙はコピー紙だから分厚いし、
印刷はネシアクオリティだしで
とんでもない辞書でしたが、
日本人が編集しているので、必要な単語が載っていました。
あとは、現地クオリティの本なので、1000円で買えて安かった。

独特の索引を見ると、
確かに辞書の索引って特殊な技術だよな、
と思い知ります。
安くて、コピー紙の辞書ですが
書き込みできるのはメリット。
家で使う分にはよかったですね。

「尼日(ネシア語→日本語)」を日本で買って、
「日尼(日本語→ネシア語)」を現地で買うって、
なんか、逆じゃない? と思われるかもしれませんが
たぶん、そうではないのです。


インドネシア語が話せない最初のうちは、
まず、"尼語を知る” ことの方が最も必要なんです。
スーパーに行って売っているものが何なのか、
街の看板に書いてあるのは何なのか、
そういったことなので、まず「尼日」が必要なのです。

実際、わたしが逆の「日尼」を手に入れたのは
現地に行ってから2ヶ月くらい後だったように思います。
「遅いだろ」と思うかもしれませんが、
このくらい経って初めて、
「日尼」が必要になる瞬間がくるんです。
それは、自分のことを話す必要が出てくるようになってからなんですよね。

それまでは拙い英語でなんとか喋っていたけれど、
現地語を少しずつ覚えていって、
その中で友達ができて、
友達に、"私のことを知って欲しい"、そう思えた時に
初めて必要になるものなんです。


この辞書でいつも一生懸命言葉を探しながら
頑張ってSNSを返信していた
あの時を、思い出します。

2016年2月15日月曜日

再始動します。


たいへんにお久しぶりです。
くろです。


大分長いこと放置しておりました「ネシアにっき」ですが、
やはりちゃんと完結させておきたい
という気持ちは消えておらず、
むしろインドネシアで生まれてしまった
もうひとつの自分というか、分離してしまった自分というか、
そういったものがやっと脱皮しはじめている。そんな感じがして
あの時感じたそのままではないけれど、
今、もう一度、最後に向けて、
書いていけそうな気がしています。





1週間に1度くらいのペースで
更新していければいいなと思いますが
どうなりますかね。
ログインのパスワードさえ忘れていた自分にびっくりしています。
また、毎週、週初めの月曜日を目安に
更新していきたいと思っています。

「本帰国です!」
で予告していたものでいうと、まだ書いていない
・魅惑のアルンアルン 編
・スンバ島 編
・お別れ 編

この3つを大きなトピックとして書いていけたらと思っています。



わたしは、日本に本帰国して9ヶ月なのですが、
9ヶ月とは思えないほどにぎゅっと詰まった時間で、
それは「充実した」とか「長い」とかいう表現とはまた違い、
ただただ、9ヶ月には思えない時間だった、という風にしか表現できない。
そして、その時間の中で
恐ろしいことに
あの時の写真を見ても、
あんなに仲良く話していたインドネシア人たちの名前が
思い出せないことに気がつくのです。


今思えば、
わたしは忘れないために、
このにっきを書き始めました。

やっぱり書かないとだめなんですね。




だから
今からでも書いてみるべきであって、
そうしてまた繋げていこうと思います。


きちんと、
記録しなければ。
インドネシアの初日から記録してきたこのにっきを、
あの日々を、きちんと終わらせたい。
そう、思います。


また、よろしくお願いします。

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