インドネシア人は
一度会って自己紹介しただけで
もう「友達」と呼ぶ。
日本からITB大学に人が来る事が多いのだけど
ネシア人が皆
「昨日、クロの友達(日本人)来てたね〜」
とか言うので
「は?いや、初めて会ったんですけど…」
というやりとりがすごく多い。
そこで
「あ〜そうだね」
とか適当にやり過ごせばいいのだけれど
初めて会って、名前もちゃんと知らない人のことを
" 友 達 "
と呼ぶのは未だに抵抗があって、適当にスルーすることが出来ないでいて
日本人が来る度に、このやりとりにちょっとモヤっとする。
ネシア人から見たら
日本から来て
しかも同じ大学だったりするもんなら
お世話してあげて当然、名前覚えていて当然と思われる。
そんな彼らは
一度会っただけで
あの子もあの子もあの子もみーーーんな友達。
私は今まで
インドネシア人が言うこの「友達」っていうものが
ずっと好きじゃなくて
くだらないステータスとかプライドとか
全体主義とか
見栄みたいなものが
彼らに、知り合っただけですぐに友達って呼ぶようにさせてるんだと思っていた。
ネシアだけじゃなくて
アジア諸国でどうやらそういう傾向があるみたい。
私を含め外国人だけがとっているインドネシア語の授業で
「親友」
という言葉を使って文を作るという時に
先生が
「あなたは自分の国に何人の友達がいますか」
と質問をし
「○○人の親友がいます」
という文を作るという会話を勉強したんだけど
わたしが
「3人の親友がいます」
と、言ったら
その後に答えた他のアジアの人たちが
「200人です」
とか言った後、他の子は
「僕は300人です!」
とか、小学生みたいな数の張り合いみたいになってきたあげく、私に向かって
「君、親友3人しかいないの!?(爆笑)」
って言われて
ええぇ?(モヤっとイラッ)
と思った事がある。
こういう諸々が
超面倒くさかったのである。
すっげぇ面倒くさかったのである。
でも、
どうやらこれが、
ガキみたいな
見栄の張り合いばかりがそうさせてる"訳じゃない"んじゃないか
と最近思い始めた。
そう思ったいくつかの理由を挙げて見る。
1、安全
2、敵と味方の区別
3、「私たち」という単語
この3つはそれぞれ単体じゃなくて
3つが全て関連してると思うんだけど
ちょっとサクッと。
まず
1、安全
ネシア(そしてアジアの国々)は安全面でとても問題があって
知らない人はある意味で敵でもある。
安易に知らない人に優しくするということは
危険なことでもある。
日本に行った事のある外国人がよく言うのは
「日本人は優しい」
っていうことなんだけど、
この「優しい」の多くは、困ったり道を聞いた時に
英語が通じなくても一生懸命助けようとしてくれるという「優しさ」であると思う。
2、敵と味方の区別
そしてその「優しさ」とは
「他人(第三者)」に「優しい」という優しさだと思う。
それは、途上国にはあまり無い種類の優しさなんじゃないかと思う。
途上国の人が外国人にしてくれる「優しさ」は
すでに味方だと認識してからの優しさだ。という話を聞いたことがある。
つまり、敵か味方か分からない
ランダムな人への優しさを向けられる日本っていうのは
外国人にとって、ちょっと特別なもので
それを出来る日本っていうのは
敵と味方を分ける必要がないくらい、平和ってことなんじゃないか。
3、「私たち」という単語
私がネシアに来てからネシア語を勉強しはじめた時に
結構早い段階で疑問に思っていたのは
ネシア語には2つの「私たち」という単語がある。
英語でいうところの「We」なのだが
ネシア語では
Kami と Kita
があって
Kamiは、話している相手を含む時の言い方で
Kitaは、話している相手を含まない時の言い方。
英語にも日本語にもそういう表現はない。
最初は、いつでもどこでも大人数で固まってるネシア人だから
会話上便利なのかな、くらいに思っていたのだけど
どうやらこれは
敵か味方の区別にも繋がるんじゃないか、という答えをだしてみた。
これら3つのことを考慮した結果
友達の多さは
その人の信頼に直結するのではないかと思う。
つまり
友達が多いという事を誇示することは
決して単なる見栄ではなくて
友達多い=味方が沢山いる=私は貴方にとって安全ですよ
っていう事でもあるんじゃないかと。
彼らの全体主義はここに繋がるんではないかと。
日本では
友達多い子 = 信頼
には必ずしもならないと思う。
そもそも
恋人とか少しの親友がいれば
他に友達は別にいらない。
っていう人が結構な数いる気がする。
それは、友達としての関係の深さだったりとか
人間性はいいけど、親友にはちょっとなれないっていう
自分がその人と付き合う上でのカテゴリの違い(?)
みたいなものが関わって来るからだと思う。
でも、ネシアでは
友達が多い子っていうのは、それだけですごく尊敬されているし
信頼されている。
ネシアで本当によくあるのが
私が1人でボケーっとしてたりすると
必ず誰かが
「なんで1人でいるの?かわいそう。」
とか言ってきて、必ず横に来て無理にでも話をしようとしたり、
私がこれからどこかに1人で買い物に出かけようとすると
「ついていくよ」
とか言う。
これが嬉しい時もあるけど、
余計なお世話であることがほとんどだったりする。
「気にかけてくれるのは有り難いけど、ほっといてくれ」
と思う。
でもこれは、
1人でいさせることへの危険性みたいなものが染み付いていて
それで、ここまで過剰な世話を焼いてくれるんじゃないかな。と
思った。
上手くまとまらない上に
単なる憶測でしかないですが
こじつけであっても
こういう気づきがあると
小さい
イライラ と イライラ が
色んなもの(文化とか生活とか言葉とか)を通して
カチカチカチッ ってリンクした瞬間に
めっちゃ気持ちよくって楽しい。
3 件のコメント:
貴重な異文化情報の交換から、いろいろ熟考されておりますね。今回も引き込まれました。色々と教わりました。ありがとうございます。小さいイライラがカチカチっと繋がるっていう件が、なんとも良いですね。
いえいえ!こちらこそいつもありがとうございます!
結構すぐにイライラしちゃうのですが、
毎日平和の日々よりもイライラしてる時の方が気づきが多いので
なんとも複雑な日々です。笑
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