研究室で勉強していたら
研究室の事務のハナンさんが、書類ファイルをもってきた。
「クロ、これ、学部からだよ」
インドネシアで一般的に使われている紙製の書類ファイルの表紙には何も書かれてない。
「え、私に?これなんですか?」
「わかんない」
私宛にファイルに挟まれた書類が来るという事は
なんだか重要なお知らせだろうか。
書類ファイルの中には
一枚の紙。
SEPADA BARU EUI! |
うそ、まさか。と思った。
部屋を見渡すと、今まで居た助手陣がいつのまにかみんな居なくなっていた。
その直後、みんなが口ずさむなんだかおめでたそうなメロディーと共に
オギとディディと、新しく助手になったウフィとリスファン。
と、
自転車。
SEPADA BARU EUI!
新しい自転車、イエイ!
私は、2週間前に自転車を盗まれました。
その自転車は、
私がまだ全然言葉も喋れなくて
アンコットも乗りこなせなかった時、
ひとりでは何も出来なかった時に
大切な友達が一緒に買いに行ってくれたものだった。
新しい家の外にある門と、家のドアの間のスペースに鍵をかけて置いていたのだけど
大家の娘が家に居る時に門を閉めるのを横着していて
その間に盗まれた。
彼女を責めたいという自分と
自転車の思い出と
実質的な金額の問題と
そういうものがせめぎあって、それでもそういう気持ちを体の外に出る一歩手前で
無理矢理押さえつけていた。
でないと、インドネシアという外国そのものが本当に嫌になってしまうから。
ただ、
「先週自転車盗まれちゃったんだ。」
と、いうことだけを仲のいい子に言っていた。
今までだったら
「盗まれちゃった」
の後に
「日本だったら絶対盗まれないのに」
という言葉がついたに違いないのだけど
誰に望まれたわけでもなく、私が1人で勝手にこの国に来て
勝手にこの国に住んでいるのだから
そういうことは言わないと、前に決めていた。
警察に言った所で、自転車にナンバーが貼ってある訳でもないし
100万分の1の可能性でもし見つかったとしても
警察に賄賂を支払って自分の自転車を取り戻すしかない。
そういう国なのだ。
自転車が盗まれてから、全部が批判的な目線で見えて来て
そうなってしまうとどんどんとこの国そのものが嫌になっていくので
心の中で
「Tetapi, aku masih hidup.」
それでもまだ生きてる。
と思って毎日を過ごしていた。
命があれば、なんでもいいや。と思うようにした。
諦めようと頑張っていた。
たかが自転車くらいで何をおおげさな
と
思われるかもしれませんが
外国に住むという事はそういうことなのです。と、私は思います。
いかに信じる事が出来るか。
いかに信じられるものや人がいるか、なのです。
同時に、
いかに信じてもらえるか、も
ひどく大切なことなのです。
そしたら、助手の皆と
今日本に留学している助手の皆が
自転車を買ってくれた。
涙が止まらなかった。
これからランプ買って、鍵を買って
たくさんメンテして
私の自転車になっていく。
この自転車は、私が
この地に居ていいんだよ
というみんなからの許可証のように思えるのです。
すごく、すごく、嬉しかった。
オギ
パンダ
ディディ
リスファン
ベベック
アデル
ラディット
ウフィ
アユ
ミア
メイ
ペイウェイ
リティア
ありがとう。
ウフィとディディとオギとリスファン。 と 新しいチャリンコ。 |
2 件のコメント:
何度か読み返しております。泣けるう〜。
ほんと良い大学の、良い周りの人々に囲まれてますね。すばらしい。宝物とそれを象徴している自転車、、、
ありがとうございます。
日本でもネシアでも本当に良い人たちに支えられて、
いつも周りの人に生かせてもらっているという気持ちでいます!
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