2013年9月4日水曜日

宗教


宗教と聞くとなんか怖いのは何故なんだろう。

日本人と宗教の関係が特殊だからなのは言うまでもない。
自分とは異なる宗教ならともかく、自分の宗教の事さえもよくわかっていないのだから当然と言えば当然か。
自分が仏教徒にも関わらず、宗教と聞くとビビってしまう。


何故なのか。
それは「熱狂さ」なのかもしれない、と思った。


何かに対して
「100%信じる」
という状態が
「怖さ」
を生み出しているのかもしれないと思った。

日本からの飛行機で、前の座席に座っていた日本人男性が
いつのまにか隣にいた日本人女性に話しかけて仲良くなっていた。
そして、その女性と中継地点で離れ
次の飛行機を待っている間に今度は別の日本人女性と話し込んでいた。
話の内容はといえば、
彼はアジアのどこかに留学をこれからするそうで
「日本なんて面白くない」
という内容だった。
"日本に居たって仕方が無いから別のアジアの国に行く"という日本人は
何故か定期的に見かける気がする。

その男性の話を熱心に聞いている女性達を見て
「しゅ、宗教くせぇ~なぁ」
と傍目で思った。

何故、ここで宗教くさいと感じたのかどうかを考えてみた結果
それは「崇拝」した状態で、つまりそれは「100%何かを信じている」という怖さだった。

だって、何かを100%信じるという事は
他の何かを100%否定するということに結果繋がると思うからだ。
それは、危ない。
と私は思っていた。

99%じゃなく100%。
100%の信仰や考え方や思考というのは、かならずどこかで他のものを否定する。
だから
「絶対」
という言葉をなるべく使うのをやめようと前に思った事がある。
「絶対」なんてことは「絶対」に無いと思うから。

「絶対バナナよりリンゴの方が美味しいよ」
なんていう考え方は
バナナがリンゴより美味しいと思っている人、その人自身を完全否定する言葉になる。
そう思ったからだった。


そんなわけで
「日本よりもインドネシアの方が"絶対"に良い」
なんて思いもしなければ、口にも出さない。
そんな考え方は私にとって恐ろしい。




大学生の時にクラスの男子とご飯を食べている時に
「もし映画に出てくるとしたら俺たちはどんなキャラクターか」
という妄想話をした時に、
友達が考えてくれた私のキャラクターはといえば

「味方のメンバーの一人なんだけど、ラスボスを倒す寸前になって
『あいつ(ラスボス)も本当は皆が思っているような悪いヤツじゃないのかもしれない』
とかなんとか言って、間際で敵側についた挙げ句、ラスボスにいいように使われて殺される」

といった
とっても残念な設定で、他の皆が
「わかるわかる」
と頷いた。

まぁ、それでいいんじゃなかろうか。
100%正義とか100%悪なんてものは無いと思うし。
100%正義のものがもしも存在したならば、もはやそれは悪だと思う。


そんなわけで
飛行機の前に乗ってた男の人の話を盗み聞きしながら
「私も数年前までこういう偏った考え方してたなぁ」
と思ったのでありました。


男性の話を聞きながら
「どーなんすかそれ」
と思いながらも
私も極端に偏った意見を持っていた事が過去に何度もあったので
否定もしきれなくて体が痒くなるような気持ちでした。


日本が好きだろうが嫌いだろうが個人の勝手だが
何故にこうも「日本を捨ててアジア(特にインドやタイ)」な人が多いのか。
私は日本の事を完全に否定していた時もあったけれど
今はインドネシアに住めば住む程日本のことが面白く感じているので
よく理解できない。
そして未だに「インドネシア好き」にもなってない。

まぁ中途半端なだけなのかもしれないが
私はそれでいいと思っている。
日本は面白いけども、インドネシアもまた面白い。

"腹八分目"
というのはご飯の事だけを指すものではなかったのかもしれない。

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