2014年11月27日木曜日

フリーズ


ネシア人は、分からないことを「分からない」と言ったり
出来ないことを「出来ない」ということが
相手にとって失礼だと考える文化があります。

そして、その意見が、結果「違う」ことを指摘すると
非常に恥を感じたり、屈辱的であるという態度を見せます。
特に、人前である場合、それは非常に顕著です。


前に、私が携帯電話を見ながら
「(残高の)チャージしないとな…」
とつぶやいた所
「ここでできるよ」
と友達が連れて行ってくれた先にあったのはコンセントの差し込み口。
彼女は(充電の)チャージと勘違いをしていたようで
私は「え???? あ、ごめん、そういう意味じゃなくて、残高のチャージ。」
と言うと、彼女はものすっごい恥ずかしそうにして
顔を真っ赤にしながら
「ごめん!ごめん!ごめん!わーーーー!恥ずかしい!!!!!」
と、そればっかり言っていました。
別に彼女が恥ずかしがることなんて何1つないのですが
ネシア人にとって、「勘違い」や「間違い」というのはものすごい恥ずかしいことだというのは
後になって分かることです。
その時の私は、何故彼女がこんなに恥ずかしがっているのかが分からず
でもとにかく本当に恥ずかしそうにするのが可愛くて
「ねえ、チャージしたいんだけど」
と冗談で何度もからかっていました。



この場合は、ただの勘違いでしたが
分からない・知らない場合
そう素直に言えないのは
相手を思ってのものであって
決して見栄を張っていたり、騙そうとしている訳ではないように思います。
それさえ理解していれば、惑わされることもなくなります。

道ばたで人に道を聞いた時に
どんな人でも必ず道を教えてくれますが
分かってなくてもとりあえず適当に答えるので
それを信じて突き進むと、まず目的地にはつけません。
「あ、こいつ分かってないな」
と思うと、とりあえず説明だけ聞いてから
別の場所で他の人に聞いて
「あ、この人は確信を持って場所を分かっているな」
と感じた人に行き当たるまで色んな人に聞きます。

この、
「こいつ、分かってないな」
の見分け方は非常に簡単で
説明の前にフリーズが入ります。
このフリーズは
「道聞かれたけど分かんないなー………」
というフリーズです。

これに
「インドネシア人は道を聞いても適当に答える」
という結果を導きだすのは非常に簡単ですが
私には何かネシア人をそうさせるものがあるのだと思い
辛抱づよく、今まで観察をしてきました。


そして、今思うのは
彼らが
「分かりません」
といえば、道を聞いた私が路頭に迷うのがかわいそうだと考えて
でたらめでもいいからなにがしかの答えを提示しようと試みているのだ。
という風に彼らは思っているのだな、
ということなのです。


とはいえ、
私が1年と数ヶ月この地に住んで来て
もうひたすらに人々を観察してきましたが
ネシア人は問題解決能力は極めて低い民族であると思います。
問題にぶつかると、まずフリーズ
そして、放置
もしくは
何か別のもの、それも全く別のもので代用しようと考えたりします。

ある例を2つ挙げます。
たとえば私が市場に行って、気に入った洋服を見つけたとします。
私は
Lサイズが欲しいのに、
Sサイズしか無い場合、
もちろん ”Lサイズがあるかどうか" を店員に尋ねます。
そして、Sサイズしかなかった場合、
このシチュエーションではこうなります。

私「これのLサイズあります?」
店員「ありますよ」
服を探す店員
そして無いことに気がつく
周りに他の店員がいれば、Lサイズがあるかどうかを尋ねることもあります
尋ねなかった場合、他の店員はそれをただじっと見ています
他に店員がおらず、1人の場合はしばらくフリーズします
この時、別の客が服を買おうとした場合、私はひとまず放置されます
私「あの……無いですか?」
店員「ありますよ」
といって、全然柄や色の違うLサイズを出してきます。
私「これ、デザインが違うんですけど。このデザインのLが欲しいんです」
店員フリーズ
店員「…でも、これ、いいですよ。」
私「私は、このデザインのものが欲しいんです。Lサイズは無いんですね?」
店員「無いですね」

ここまでやらないと、Lサイズが無いことは分からない。
下手すると、ありますよっていって
全然違う柄の服をそのまま袋に詰めようとする店員さえいる。
しかも値段も全然違ったりする。
これは、私が思うに
騙そうとしてやっているわけではなく
どうして代用品では駄目なのかが分かってないように思えます。

私が欲しいのがハイビスカスの柄の赤いシャツだとして
代用品がバラの柄の緑のシャツだとすると
「花柄」
という共通点があれば、それは代用品として充分な条件であるのです。



ついこの間のコンビニでの例も挙げます。
私は、サラダとパンを買った時のことです。
サラダの値段がどうもレジに登録されていなかったようで
値段が分からず、コンピュータで値段を調べていました。
その間には一言も
「レジに値段が登録されていなかったので今調べます。少々お待ちください」
のような断りを入れてくることは、経験として1度として無い。
この国に来たばかりのうちは何をやっているのか分からず
とはいえインドネシア語が喋れる訳でもなかったので
とにかく観察していたのですが、
今では彼らがなんでこんなに待たせるのかが分かります。
大抵は、レジの起動を待っていたり
おつりを探していることが多いのですが
それらを一切説明しないので、客はひたすら待たされるだけなのです。

とりあえず、値段は見つかったらしいのですが
どうやら、おつりが足らないようなのです。
インドネシアはお金の単位が非常に細かいため
おつりが足りないということはほぼ毎日数回発生する出来事なので
驚きはしません。
しかし、この店員はこの時1人だったために
おつりが無い時の問題解決方法を、他の店員に尋ねることができない状態のため
とりあえず今準備できるだけのお金をレジから引き出した後
しばらくフリーズをし
そして、レジの下でそのままケータイをいじり始めました。

恐らく、他の店員にどうすればいいのかをSMSで尋ねていたのだと思います。

その時私が買ったのは
Rp.17.000のサラダと
Rp.5.5000のパンでした。
私はRp.50.000を出したので
おつりは当然Rp.27.500です。

私がレジに商品を持っていってから
3分以上がすでに経過していました。
最初の「Apa lagi?(以上でよろしいですか?/他にご入用は御座いますか?)」以降
一切、事情説明を含め、言葉を発しません。
ただし私は経験から、状況をすべて理解したので
「……おつり、無いんですね?」
ときくと、
「そうなんです。」
といって、とりあえず今あるRp.22.000を私に渡して来たました。
私は本当は小銭が欲しかったので大きいお金を出したのですが
こういう事情なのと、ちょうど細かいお金もあったので
「Rp.10.000あります?」
といって、プラスでRp.2.500を支払い、差額のRp.10.000を受け取ろうとした。
店員は計算が全く出来ていなかったので、
勘違いをし、私にRp.1.000を渡そうとしたので
「違います、Rp.10.000です」
というと、バツが悪そうにRp.10.000を渡して来た店員からお金を受け取り、
なんとか正しいおつりを受け取りました。


長くなりましたが、こういうことは本当によくあることなのです。
・知らない・分からないと言えない
・問題解決能力が無い
・出来ないことは放置して後回しにする
・計算が極端に出来ない
この4つが、商いにおける致命的なインドネシアの特徴です。
国民全体でこの能力が低いのです。

ちょっと前に
国際協力の実施主体から見たインドネシアの初等中等教育行政の問題点と改善策
―世界銀行提案との現地での経験から―

という広島大学の助教授が書いたレポートを読んだのですが
このようなことが書かれていました。(以下抜粋)

世界銀行の委託によって行われた S o m e r s e t ( 1 9 9 4 )の 調 査 は,全国の4つの州で無作為に抽出した12の小学校で調査を行い、小学 校5年生と6年生の算数の能力が極めて低い水準 にあることを示したものである。
0.55,0.8及び0.14の3つの数を大きい順に並べるという問題に正解できた児童は,全体の12%に過ぎなかった。誤答の多く が0.55 > 0.14 > 0.8としており,これは少数点の意味が理解されていないことを示している。また、 地域によって差はあるものの、7%~12%の教師が児童と同様の基礎的な誤りをおかした


私も計算は相当に弱いので
日本の義務教育をうけている中の底辺だとしても
この底辺の私から見ても、ネシアの数学の能力の低さは充分に感じられます。
なぜ、彼らが計算できないのかは
それを教える教員ができないからで、
その教育を受けて来ている親も当然できないのです。


数学に限らず、
大人たちは分からないといえないのです。
そして学ぶ子どもたちも「理解できていない」ということを
大人に意思表示できないのです。

そして彼らには学ぶための自国語で出版された本がないのです。
大抵は外国から輸入された翻訳本、
それも悪ければ大きく誤訳された本を使用することになるのです。

彼らにとってのあらゆる情報源は
人の話、そしてインターネットからの情報という非常に不確定な情報なのです。
そして、それはある、たった1つの意見だけで、事を「断定」してしまうので
意見のパーセンテージだったり
少数意見を拾い上げたりする事がほとんどないのです。
なぜなら、彼らにとって
「周りと同じ」であるということは、
私には理解しがたいほどに極めて、極めて重要なファクターだからです。

そして、学の深い人間は
「理論」
を最重要視します。
西洋の人間が作った、「理論」に全てをあてはめて
それを「正しいこと」の指標にしようとするのです。
デザインも同じ事です。
彼らは学歴を非常に重視するので
「友達」よりも「学部を卒業した助手」、
「助手」よりも「修士号を取得した先生」、
「修士号」よりも「博士号を取得した先生」
が、かれらにとっての絶対的な学歴のヒエラルキーです。
ここに、個々のキャラクターや思考、言動などの要素は
彼らにとってほとんど関係の無い事なのです。
私には決してこれが良いことだとは思えません。
自分で考える能力が完全に不足しているのです。
この世には「説明できないけれど素晴らしいと感じる事」がたくさんあるからです。
しかしそれらが「理論」に当てはまっていなければ
これらが評価されることはありません。

それが、
私が外国人としての客観的に見るネシアと
内側に入ってみて見えて来た事を総合して私が思う所なのです。



少し話しが広がりすぎましたが
1年間の実生活による調査で考えとがまとまってきたので
少しずつ拙い文章ながらも批判的な文章を書いていきたいと思ってます。

2014年11月20日木曜日

Pasar Seni ITB 2014


宣伝しといてやるか〜。

ということで、11月23日はITB大学の4年に1度のお祭り、
Pasar Seni(学祭)があります。

Pasar Seni ITB 2014 公式サイト
http://www.pasarseniitb2014.com/

もう2年前からずーっと準備していて、
規模のでかさというよりは
インドネシアの非合理的な準備の仕方であるとか
スパンが長過ぎて引き継ぎが上手く言っていないとか
非効率的な物事の進め方が原因でこんなに永遠と準備しているのだと思いますが
何はともあれ、やっとこの日がきました。

4年に1度、それも1日だけの、
なんだか夢のひとときのようなイベントですが
私はいつも、がんばって準備している子たちを見ているので
全っ然期待はしていませんが、とっても応援しています。

私はお店を出しませんが、私が書いた絵やグッズは
私を含む芸術家集団(私だけが芸術家ではないという)「Hybridclass」を代表して
ダフィッドさんが売り歩いてくれるらしい。
売れたらみんなでご飯を食べようと計画しています。


私はもう
ネシア人がキラキラしているところを見ると
なんだか切なくなって泣きたくなってしまうので
行く予定はなかったのですが、
先週、5年生のバスカラと、ファジャールと、シギットが私の所にきて
「くろちゃん、Pasar Seni来る?」
というので
「あー、うん、多分行くかも?」
と、超曖昧な返事をすると
「お願いがあるんだけど」
と切り出される。

「舞台でMCをやってくれないか」

「はっ!!?!??」


いやいや、絶対に嫌です。
そもそもネシア語喋れませんって

「ついでに宣伝大使として、ファジャールと一緒に走ってくれ」

「はっ!!!!????!?」


いやいや、論外です。
走るのも嫌いだし、人前に出るのもいやなんです。
Pasar Seniのバンドン市内での注目度は分かっているので
何がなんでも嫌だったのですが
さすが、Noと言えない日本人。
最後の最後には折れてしまいました。


「絶対にやりたくないんだけど、こんな機会はたぶんない。だからやろう」
ということが、この国に来てからあまりにも多いです。
ま、失敗しても選んだ皆が悪いので
リラックスしてやってみることにします。

それにネシアは変更がすっごく多いので
当日になって「やっぱやんなくていいや」ということも充分ありえるので
私はそれに期待をしてみることにします。
出たとしても、仁王立ちできっと突っ立っているだけの私が目に見えます。

しかも聞くところによると、
朝の6時から走れとのことで、
これだからイスラム圏の朝の早さにはほとほと参るわ…と感じている所です。
そして6時に行ってもどーせ誰も来てないというオチが見えています。

MCなんて私に出来る訳がないので
「私、Goblok(まぬけ)とAnjin(バカ)しかネシア語で言えない」
というと
いつもこの手のスランクは大好きな3人が大慌てで
「くろちゃん、絶対言っちゃ駄目だよ!!市長も来るんだからね!!!」
と強く念をおされました。 チェ


なんで私に声をかけてきたのかを聞くと
可愛い女の子に一通り声をかけてみたけど駄目だったから
ここは路線変更して、外国人で攻めて見ようかとおもって。
ということ。
こういう風に、超失礼なことを平気で言われるようになると
言葉とは裏腹にすごく嬉しかったりします。
内側に入れてもらっているな、という感じがする。
こういう風に言ってもらえる外国人はすごく少ないから。

特に日本人はインドネシア人からはとても印象がいいので
個人ではなく、日本人としてしか見てもらえないことが多いんですよ。
私はそういうのは嫌いなので、
「日本からきたの?私、日本大好きなの!友達になりましょ!」
みたいなやつがよってくると私は
「フーン」
「ヘー」
とか適当な態度で相手をするので、すぐにどっかに行ってしまいます。

それよりも、日本嫌いだわ
とか私に言ってくる人のほうがよっぽど好きだし信頼できるし
実際にすごくいい友人関係を築けている。
パンドゥーなんかは一緒に話をすると
「皆日本びいきすぎ。別に日本だったら何でもいいってわけじゃないでしょ。もっと本質を見るべきだよ。」
と、日本人である私に言ってくれるようになったのはすごく嬉しい。
日本人としてじゃなくて、私個人として興味を持ってつきあってくれているんだな
と思うと、本当に嬉しく思うのです。
リオには
「クロ、君はなんで他の日本人みたいに綺麗にお化粧して綺麗な洋服きて
かわいいしゃべりかたしないんだ。ほら、見てみろ。あの子みたいにカワイイ格好しろ。」
うち「うるせーファックユー」
というようなやりとりができるのは、私にとってはすごく意味が大きいことなのです。


そんなわけで話は戻って
ファジャールと、バスカラと、シギット。
「当日は、そんなしみったれた顔じゃなくてかわいくメイクアップしてきてね!」
「オカマみたいになるのがオチだ」
「AKBみたいな服来て来てね」
「そうそう、バカみたいなダンスして」
「バカみたな帽子かぶって」
「原宿系でお願いします」
「私はニホンジンデース!って叫んでくれ」
とか、もういちいち日本人ということを強調して
失礼なことをぶちかましてくれます。


色々書きましたが、Pasar Seni.
23日、日曜日です。
雨期なので、土砂降り必須ですが、みんなめげずに頑張れ〜〜!


昨日突如出現したヤバいバイク。
こういうのって本当…誰が作るのかなぁ?笑

背中にうちの学部のフラッグがかかげてあります。
当日これ乗り回すんだろうなぁ。笑


Pasar Seni 2014のリーダーは、
我らがゲリー君です。
いっつもパンタロンを穿いているのですが、似合っています。
この前テレビに出ていたのでこっそり貼っておこう。
ちなみにネットの回線が遅くて私はまだ見れていない。



2014年11月19日水曜日

言霊


言霊……というわけではないのですが
いや、そうなのかな
このブログにいい事を書くと、大抵数日後に真逆のことが起きるのは何故なんでしょう。
逆言霊。


「最近体調いいです!」
って書いた前回。
次の日にぶり返してまた微熱。
早めの葛根湯で、私の「治す力」が珍しくお目覚めしたらしく
熱はそこまであがらずすぐに落ち着いたのですが
その次の日に夕方突然具合が悪くなり、予備校でダウン。

しかし、熱なし、悪寒なし、発汗なし、痛みもなし。
この日は朝から昼間にかけて交通量の多い中、自転車でかなりの距離を移動したので
たぶん排気ガスとか大気汚染の影響で気持ち悪くなったのだろうなと思い、
30分くらい寝てみたがむしろ悪化の一途をたどる。

「気持ち悪くて吐きそう」だったのですが
インドネシア語も英語もそうですが「なんか気持ち悪い」という日本人的な感覚にふさわしい適切な表現というはないので
「なんか胸のあたりが気持ちよくなくて、ちょっと吐きそうなかんじ」
と伝えると、
予備校の先生方であるおっさん達が
インドネシア人お得意の
「くろはMasuk Anginだ!」
と主張。

Masuk Angin(マスック・アンギン)とは、インドネシア人が主張する謎の病気で
Masuk=入る Angin=風
という意味なのですが
まあ、いわゆる 風邪 です。


しかし、「それって風邪でしょ?」 などと安易に言ってはいけません。

インドネシアにしばらく住んだことのある外国人が必ず耳にするこの病気、
「違うよ!風邪じゃないよ!」と主張するネシア人でかならず一悶着あります。

Google 翻訳 大先生にも「Cold(風邪)」と訳される始末。

印尼(ネシア語)日辞典。
風邪をひく masuk angin

印尼辞典。
風邪をひいた。
masuk angin


Kamus(辞書)にももちろん「風邪」と定義されています。

それでも、現地民は「Masuk AnginはMasuk Anginであって、風邪じゃない」といいますが
「Masuk Anginの症状は?」と聞くと、人によってまちまちですが
全部風邪の症状でしかありません。

彼らは、Masuk Anginがインドネシアにしかない病気(つまりそんなものは存在しなくて、風邪でしかない)ということを知らないのです。
私を含む、外国人は、ネシア人のこうしたところに正直呆れていました。
いや、まあ西洋医学で定義づけるなら。の話ですが。

前にも書きましたが、インドネシアと病気の関係というのは非常に特有で
彼らは風邪とインフルエンザの区別がついていないのです。
先ほどは、辞書でMasuk Anginが風邪と定義されていましたが
逆に、在日インドネシア人向けのメディカルハンドブックには
「Flu = 風邪」
と書かれているのです。

メディカルブック。ネシア人向け。
Flu = 風邪

もちろんFluは風邪でなはく、インフルエンザの事なので、これは間違いです。
印刷ミスではなく、ネシア人の認識が医学的に間違っているということ。
(そもそも Flu は Influenza の短縮形なので、風邪じゃないことは明らか)

ネシアでは工学の知識は国際協力機構の支援もあって非常に高いのです。
でも医学・科学の知識・常識は本当ーーーーに低い。
これは、学の違いではないんです。
学がある・ないに関わらず、学歴に関わらず
これは一貫して知識が無いんです。

ネシア人は情報収集は得意な民族です。
ましてやインターネットが普及しているこの時代に、なぜこんなにも医療の知識がないのか。
理由の1つとして私は
ネシアの民間療法がそれだけ根強いのだと思います。
(ネシアの民間療法については長くなるのでまた今度。)


そして、
ネシア人は、病気にかかると
症状だけを見ているだけで、その原因が
ウイルスなのか、免疫力が落ちているだけなのか、それとも花粉なのか
ということは全くどうでもいいようなのです。

私の友達のパンダ君は、非常ーーに頭がいいのですが
彼でさえ「日本留学したら花粉症になったからパブロン飲んだ」とか言ってるくらい。
花粉症はインドネシアにはないので、知識が少ないのは当然なのですが
彼の場合、日本語がぺらぺらで、
自分が風邪ではなく花粉症だという自覚があるにもかかわらず
花粉症がなんであるかを分かっているかも分かっているのにもかかわらず
頭がぼーっとする、鼻水が出る等の症状から イコール それらが治るパブロン飲んどけ。
という発想になってしまうのです。


だから、
「風邪とインフルエンザの違いは、医者に断定してもらわないと素人には区別がつけられない」
という説明をしても
いまいち誰も理解してくれないのです。
最悪なのが、医者も然りです。
医者に見てもらうと、症状の断定はしてくれますが
病名が何で、なにが原因なのかは分かってないようです。
病名を聞いても毎回はぐらかされるのはこのせいなのだと私は思うのです。
そもそも病名を尋ねるネシア人も見た事がありません。


私はインドネシアのこの特有な病気との関係を
インドネシア医学だとは思えませんが、
西洋医学とも、中国の医学とも違う、ネシア特有の病気との関係が存在していると思います。
まだはっきり見えてこないけど、何か、確かにあるんです。
こんなに医学の知識が低い理由が何か。
あまりに気になったので、日本人が書いた博士論文の
インドネシア人と病気
というようなものを読んだのですが、
私の欲しい情報はまったく得られず。
残念。





ネシアには、病気だけではなくて
日常の出来事でも、大学院の授業でも、あらゆる場面で
「非・科学的」
な事が沢山、沢山起こります。

具合があまりにも悪いので、乗って来た自転車で帰る事は諦め
友達に車で家まで送ってもらったのですが
帰る途中で寄ったガソリンスタンドで、数台前の車に異変。
ガソリンを入れたばかりのワゴン車を
男性が二人、外から車を押してゆらゆら揺らしているのです。
私は喧嘩かと思うもなにやら喧嘩という風でもないので、
運転してくれている友達に、あの人たち、何してるの?と聞くと
爆笑。

まずはじめにいっておくと、彼は私と同じ大学の薬学部を卒業して
現在歯医者さんであります。
彼の口から
「レントゲン線は何mmから何mmの範囲うんたらかんたら」
と、科学的なことを聞くと、私はホッとするのです。

そんな彼が、車を揺らす男性を見て爆笑した後
「あれはねぇ、Mythos(神話・伝承)だよ。
インドネシア人はね、ああやって車をゆらすと中のガソリンが増えるって信じてるんだ。」

「 …… W H A T’ S ! ! ! ! ? ? ? ? ? 」

もう、私が何度 What’s!? と Excuse Me!? を連呼したか知れません。



ネシアに言霊があるという話は聞いたことはありませんが
Mythos関係は、散々目にして来ています。


ところで、言霊といえば
万葉集には
「そらみつ大和の国は言霊の幸ふ国(ことだまのさきわうくに)と語り継ぎ言ひ継がひけり」
という、
日本は言葉の呪力によって、幸福がもたらされている国である
という文章が載っているということを辞書で読みました。
前後の文章は全く知らないのですが、
言葉が魂をもって人を幸せにする
というのは、いかにも日本人的で、素晴らしい表現だなぁ〜〜と思うのですが
言霊を信じるというのは外国人から見たら、
非科学的なMythosでしかないのだろうか。
と、思い、頭がぐるぐるしています。


あー ぐるぐるしてまた気持ち悪くなってきた。笑

2014年11月14日金曜日

治癒力


去年は体調崩してばっかり居ましたが
8月末にこっちに戻って来てから、まだ2度しか体調を崩していません。
2回体調崩してんのかよ。とか言わないでください。

2週間に1度、コンスタントに
死にそうなほど体調を崩していた事を思えば
今回はかなり体調はいいのです。
日本に住んでいた時でさえ、2ヶ月に1度は風邪ひいていたのですが
今回の5月~8月の帰国では
しょっぱなに熱を出しただけで、後はめちゃくちゃ元気でした。

そして、ネシアに戻ってた8月末。
2日目に排気ガスにやられて喉が痛くなり、咳がでて、いつもと全く同じ症状に。
去年は「風邪か、ウイルスか。」とか言っていましたが
確実に大気汚染が原因だということが分かりました。
身をもって。


日本へ一時帰国していた期間が結構長かったので忘れていましたが
そういえば、前回住んでいた時は
朝、風邪っぽい症状がよくでていました。
私だけではなく、友達もみんなそうで
朝おきると鼻がムズムズして、くしゃみがでる。ということで
「朝アレルギー」とか呼んでいました。

そういえば今回、朝アレルギー出てないな…
と思うと、小さいながらも空気清浄機を持って来ていたことに効果が出ているのかも。
部屋は透かし窓のせいで密閉できないので
気休めに持って来ていただけだったのですが、実験。
空気清浄機をかけずに寝たら、次の朝、確かに喉の調子があまりよくない。
空気が循環していないと、きっと
寝ている間に空気中の塵・ホコリがきっと顔に降り積もるのでしょう。
数日のスパンでフィルターがホコリだらけになるので
空気中に含まれる小さいな塵・ホコリ・有害物質は
相当なものに違いありません。


原因がハッキリしたので、
今回は粘らずにさっさと病院に行って薬を貰い治しました。
そして先週、
中間テストが続いたせいで、
布団をかけずにうっかり寝てしまう日が何日も続いたせいで体が冷え
試験が終わったとたん、風邪をこじらせました。
今までが、大気汚染による特有な症状だったので、
風邪が久しく、なんだか懐かしいような気持ちにさえなる…
フワーっとしたかんじ、体がダルく、重い。
今回日本から持って来た体温計で計ると、37.3度と微熱。
ああ、これは ち ゃ ん と 風邪だわ!
と思い、薬箱をあさると、8月末に医者から貰ったパラセタモールがまだあったので
パラセタモールを飲んで、2日間安静にしていたらすっかりよくなりました。

症状がはっきりしているというのは嬉しいことですね!
病院に行った所で、症状なんて診断してくれないし、やたらめったら抗生物質だされるだけなので
自己責任で自分で症状を見極めた方が、私はよっぽどいいと考えています。


そんなわけで、最近あまり病気していません。
とはいえ、精神的にはあまり健康とは言いがたく
心身ともに健康。というわけではないのですが
それでもまあ、わりと体調はいいです。

今回の大失態は、
日本から風邪薬を持ってくるのを忘れた事。
前に「風邪薬を送ってくれ」と頼んだら葛根湯が送られて来た。
効いた事が無い葛根湯を飲む度に
パッケージにかかれている
「治す力が目を覚ます」
という文章を読んで
私の体の中の治す力は、既に息絶えているのだな…と
思い知らされるばかりです。




目を覚ませ!

2014年11月12日水曜日

屋台


フルーツの記事でも書きましたが
最近はもっぱら屋台で果物・野菜を買っています。
一年も住んでいて、やっと手を出し始めたこのフルーツ屋台ですが
すごく、いいのです。

例えばマンゴー。
マンゴーは今時期真っ盛りなので種類にもよりますが 1kg Rp. 15.000,(150円くらい)なんですね。(1kg=3個くらいです。)
スーパーだと Rp.20.000, くらいなので、まあ普通に安いのですが
それよりも何よりも、熟れた状態で売っているので、そのまま食べれます。
正直私は 「熟し下手」 なので、最初から熟れていると
そのまま冷蔵庫で保管できるのでそこが素晴らしい。

こんな感じで売られています。
安いものは熟れすぎていることが多いので
同じくだものでいくつか値段がある場合は
一番高いのか、その次を選ぶのがベスト。
安いのは買ってもすぐに腐ってしまいます。

屋台のおやじ

オギがいうには、
「米びつに突っ込んでおくとよく熟れるよ」
とのこと。

日本人の感覚からいえば、米びつにフルーツを突っ込むなんてあり得ない発想ですが
(糖分とかしみ出してくるし)
ネシアの米の管理方法を見たら納得すると思う。
スーパーでお米を買えば大体日本と同じように厚手のビニールに入っていますが
普通現地人はローカルな市場で買うので
米をビニールで編まれた袋(いわゆる “砂袋” に使われるやつです)で買うんですね。
で、それを開封してから使い切るまで封をしないで
 ガ バ っ
と口をあけたまま保管してるんです。


味はもちろん落ちるでしょうが、それよりもなによりも
「虫」
が心配じゃありません?
でもね、虫が来ないんですよね。
何故なのか、普通に考えられる理由は2つ。

1、農薬使いすぎ
2、そもそも米が日本米みたいに甘くない


3、米を食う虫がいない
というのはまず考えられません。

米を食う虫自体は確実にいます。
私がオーガニック米を買った時は大量の虫に襲われましたもの。

ま、そんなこんなで
同じ 米を主食 とする文化でも、
日本とは大分違っていて、米の扱いは 極めて雑 だと言っていいでしょう。
決して豊かな食文化ではないのに 最後の一粒まで食べろ という精神も全くありません。
完全自給もできていないのに、米はけっこうばんばん捨ててるみたいですね。


ちょっと、米に話がそれましたが
フルーツを米にぶっ込むというのは私的には無し!で、
しかも 熟させ下手 なので、
最初から熟れているフルーツを買うのはメリットあるんです。
去年ずっと住んでいたところの周辺は
どうやら今思うと高級住宅街だったらしく
こういうフルーツの屋台とかって、近くに全然無かったのですが
スーパーローカルエリアに引っ越して来た今では
現地人の生活というものが、去年よりも近い距離で見えています。
住む場所を変えると、見えてくる文化さえも違うのが面白いです。
東京に住んでいたら、違うのはせいぜいゴミの出し方くらいなもんです。

地域の護衛さんが夜中の2時きっかりに
金属棒で金属製の門をガンガンならして安全を知らせてくれたり
(毎日びっくりする。)
1年住んでいてゴミの出し方を初めて知ったし
真夜中に豆腐を売りにくるおじさんがいたり
やかましい子どもが走り回っていたり
インスタントラーメン屋さんがあったり
(インスタントラーメンを作って売ってる)
朝方4時頃からろうそく一本たてて野菜となま肉を売り始めるおじさんがいたり
そういうのはここに住み始めて初めて自分の生活圏に入って来たものばかりで
面白くて新鮮です。

朝方、まだ日が上ってないうちは
ろうそくをたてて売っています。
めっちゃ怖いです。
生ものも売っています。(もちろんハエが死ぬ程飛んでいる)

朝の4時から6時くらいまで路上で野菜を売っているおじさんですが
すげー安い。
この野菜セットは40円で、
ニンニクはたしか20円くらい。
トマトセットは70円くらいだったかな。

トマトこんなに買ってどーすんだと思われるかもしれませんが
(なんせ生ものは危ないので食べない)
トマトは全部湯剥きして、ニンニクで痛めた後にペースト状にして冷凍保存しました。

最初から袋に入って売っているのですが、半分でも数個でも買えます。
ネシアの、好きな所でなおかつ商売下手だなぁと思う所の1つが
バラ売りでも、箱・パック売りでも単価が一緒
というところです。
タバコが分かりやすい例で、
16本入りで160円のタバコをバラで買うと
(貧困層がタバコを買うので普通どこでもバラ売りしています)
1本10円なんですよ。
普通、バラ売りの方が手間もかかるし高くすればいいものの、値段一緒なんですね。
下手するとバラ売りの方が安い時の方が多いくらいで……(謎


ま、そんな感じで最近夜中(朝方)の市場とか、昼間の市場を利用しています。
この前はロイムと一緒に朝の3時から7時までツーリングで市場を見て回ってきました。



野菜を運ぶおやじ
やさいをひろげるおやじたち
バナナを運ぶおやじ

市場は、もう何kmもずーーーーーーっとながーーーーーい列を作ってお店が開いているのですごい面白かったです。野菜もフルーツも魚も肉も全部一緒でごっちゃまぜで売っているので、結構カオス。

朝ご飯(朝4時)はブブルアヤム。
(鳥のささみが入ったおかゆ。)
なんか汚いですが、美味いです。好きです。

机はイス。

2014年11月11日火曜日

ジョギング


ええ、ええ。
私は大の運動嫌いです。

もうね、汗をかく事がいやなんですよ。
ストレッチとかヨガなんかはいいです。
基本的に動きが少ないものならいいです。
スイミングもいいです。
たぶん重力が嫌いなんです。
でも散歩は好きです。

そんな私がジョギングです。
アラサー仲間のオギとジョギングです。
汗だっくだくになりました。


私は前日のメールで「ジョギングは嫌だからウォーキングにしようよ」と言ったのに、
結局走ることになりました。
1kmって行ったのに、結局2km走りました。
ジョギング用の靴じゃないのに、石畳の歩道を走ったもんだから
皮が薄い私の足の裏はかわいそうな事になりました。
もう!
大自然!

私たちが行ったのは、私の住んでいるバンドンの中心地からバイクで10分ほどの自然公園。Taman Hutan Raya.(多分。)
入場料はRp. 11.000,で、100円くらいです。
チケットはいつもぐしゃぐしゃになる人です。
すっごい大きいところで、3時間くらいいましたが一番奥にある滝までたどり着けず。
中国のPM2.5がうんたら言っていますが
データを公表していないバンドンは、どれだけやばい大気汚染なのか分かりません。
でもここは、空気も綺麗で、非常に快適なところ。

顔はいつまでも若いですが
オギももう背中がおっさんです。
途中、鹿公園もあって、
雑草をちぎっては鹿さんにあげていました。
かわいい。
しか!
日本のよりも顔が野性的です。
32歳、鹿に雑草をあげる。
27歳のアラサーもひらすらあげました。

小学校だか中学校だかの時に、奈良へ修学旅行に言った時
鹿の角には血管が通っているので、夏は「皮膚」の状態になっている。
でも冬になると血がかよわなくなるので「爪」のような状態になります。
だから、冬に角を切るんですよー(観光客がケガしないように)
と言っていたのですが
年中真夏のネシアでは、鹿は角切れないな?
と思ったものの
あまり角がガッツリ生えている鹿さんはいませんでした。

これから暇を見つけては、オギとここで運動する予定。
アラサー仲間です。
頑張ります。

ここには旧日本軍が
インドネシアを占拠していた時につかっていた洞窟もあります。
捕虜収容所もあったらしいです。
怖くてあまり中まで入ってませんが。
こちらはもっと大規模なオランダの方の洞窟です。
Goa Belanda.

ビビる暗さです。


2014年11月10日月曜日

口を見る

この話は、ネシアに来てからしばらくして
そう、言語がなんなのかっていうものが少し分かって来たように思った頃に感じていたことで
なぜか、私はこれを書くタイミングをずっと逃していたので
今日、書く。


英語の発音 に限らず、
日本語以外の言語のほとんどがそうだと思うのだけれど
日本人の英語が通じない理由の1つが、まず発音。
この発音について、きっと頭のいい人や、勉強効率のいい人ならば
本かなにかで発音の仕方を学んだのだと思うのだけれど
私は、子どもが親から学ぶように
友達の発音をまねして、時間をかけて覚えていったので
ある、ひとつのことに気がついた。
それは、英語が話せない日本人が絶対にやっていないことだった。
そして至極簡単な事だった。

それが、 口をみる こと。

日本語を教えて、って言ってくる子に対して、私が何か発音すると
必ずみんな私の口の動きを見る。
コレに気がついたのは、こっちに来てから何ヶ月も経ってからだった。
これに気がついた時、衝撃だった。
だって、日本人の場合、私もそうだったけど、
一生懸命聞こうとして、目を閉じる。

これに気がついてから、私の勉強方法が変わったのを覚えている。
たとえば ン にしか聞こえない発音も
インドネシア語の場合は、 N と NG がある。
だから、発音を聞いて、これをメモする。
私の住んでいる街、バンドン。
Bandungは、最後がngなので、nの発音とは違う。
Bandunではない。
この時、耳で一生懸命聞こうとしても、nとngが同じにしか聞こえない日本人の耳が
この違いを聞き取るのは非常に困難なので、口元を見ると
なるほど、舌が上顎にくっついてない。
つまり、Bandungなのだ。

逆に、日本人に、インドネシア語の発音を説明すると
日本人は必ず、私の目を見る。もしくは、耳を私の口の近くに寄せる。
一生懸命聞こうとしているのが、逆効果である。

つまり、そもそも
日本人には発音を知る為に、口元を見る という習慣、というか
そういう勉強方法を教わっていない。
そして、日本語の発音を教えようとしても、最初の頃、発音が説明できなかった。
だって、日本語の発音の仕方なんて、習った記憶がないんだもの。
にんじんを発音するのに、NI N JINではなく、NINJINGと発音しているということに
気がついている人は少ない。

これが分かってからは、たぶん発音はぐっと良くなったと思う。
THの発音も、自分が意識して、わざとらしくでもベロを歯で噛むように発音していると
SとTHの違いもなんとなく分かってくる。


ネシア語が話せるようになってきてからは
もう全然英語なんて使わなくなっちゃったので、どんどん退化してきていますが
発音は、少しずつ分かって来たみたいなんです。

私が思うに
耳で違いを一生懸命理解するよりも
目で口の動きを確認したほうが絶対に近道だと思う。
きっと色んな人が発見しているであろうことなのでしょうが
あまりこのことを書いているのを見た事がなかったので
エラソーにも、ここに書いてみたのです。

そうなんです、口を見るのです。

2014年11月6日木曜日

死の匂い


いつも良くしてくれている助手の1人が てんかん患者 だということを知りました。

先月かな、オーストラリアから学生がワークショップをしに
2週間ほどITBに来ていたのですが
その時、ITBで対応するはずの先生がワークショップ中まるまる抜けるというようなことがあって(インドネシアではよくあること)
助手である彼がほとんどすべてを対応していました。

ものすごいストレスに強い人だな
と元々感じていたのだけど、
今思えばストレスに強いのではなくて、ストレスを溜めない努力をしていたのだと思う。

ワークショップを残り2日残して、
あまりのストレスに耐えきれず、発作が出て学校に来れなくなった。
それから1週間半が経ち、学校にほとんど来れていない状況でした。
今は、前のようにほぼ毎日学校に来ているのですが
まだ病院に通院したり、
早めに帰って休むようにしているみたいです。

彼が てんかん患者 であることは、私以外は皆知っていたらしい。
ストレスが溜まると痙攣を起こして倒れてしまうそうで
毎日飲んでいた薬は、てんかんの薬だったそうです。


彼がツラい身体を無理矢理起こして学校に来た時にこんな話をしてくれました。
「死と生の間を行き来したみたいだ。思い出が走馬灯のようになって流れた。
でも、アッラーが出て来て僕の背中を押したの。そしたら目が覚めた。」
それからはずっとイスラミックな話だったので
私は正直よく分からない部分の方が多かったのだけれど
聞いていてすごくツラかった。

死と信仰の関係 を考えたりした。

てんかんの発作を止める薬というのは
自殺願望を引き起こす作用があることで知られているそうで
それでも薬を飲まないといけない。
彼はなんどもそれと戦わなければならなかったらしい。
この前は1日に6度も痙攣を起こしたと言っていた。
なんでもなく話す彼と
それをなんでもなく聞く周りの子の図が
すごくつらく見えたのです。

話している間、彼は何度も
「人は hoping があるから生きて行ける」
ということを言いました。
彼は、病院のドクターだけでなく
パハジ(Bapak haji)という、簡単にいうとイスラム教マスターみたいな人に
相談しに行ったりしたそうです。
科学的な治療と、宗教的な方面からの精神的治療をしてもらっているということです。

私のネシアの友達には
統合失調症とか、鬱病の子とかが結構います。
彼らは大抵お金持ちの子で、
だからこそこういったネシアでは特殊な病名を知る知識が得られる環境にいるしちゃんと治療を受けられるんですけど
学校での彼らと、二人きりになった時に話してくれる色々なことというのは全然違くて
いつも、二人きりの時は死の匂いを感じるのです。

わたしは、コーランで何故自殺が禁じられているかが分かった気がしました。


この前、ITBの先生の1人が亡くなって
その日、お葬式前夜の式典のようなものに連れられて行きました。
ネシアで初めてのお葬式でした。
私はその先生と面識がないので、
ツラい というような気持ちは全くなかったのですが
目の前にある、
1メートルにも満たない距離にある
白い布に包まれて、
木の棒と布で作られた担架の上に乗せられた
それが
死んだ人であるということを
なんだか不思議に思いました。
箱であるとか 彼とわたしの間に空間的な仕切りが無いのは
なんだか怖いなと思いました。
生と死の間に仕切りが無い事が怖いと感じたのだと思います。


病気であるとか
死であるとか
宗教であるとか
そういうものがインドネシアという国を
インドネシア人という人々をキラキラと見せて居るのだな
と思いました。


発展途上国に住んでいる人は、人間が暖かいよね
というような言葉をよく聞きますが
なぜ暖かいのかを知ってしまった気がします。

2014年11月3日月曜日

アンティーク天国


前々から行こうよ!と言われていてずっと機会を逃していた
CIKAPUNDUNG(チカプンドゥン)。

ここにはいつもお世話になっているロイムさんのアトリエがあるよってことで
たまたまタイミングもよかったので
二人でチャリンコに乗って行ってきました。

わたしは、街の一角に小さなアトリエ兼ギャラリーがポツネンと建っているのを想像していたのですが
着いたのはなにやら廃墟のようなビル。
チャリンコごとエレベーターに乗って3階へ。
チーン!(本当にチーン!っていう昔のタイプのエレベーター)

エレベーターのドアが開くと、そこは
なんというか、
天国だった!

廃墟ビルのような建物の中には小さなテナントがひしめいていて
さながら中野ブロードウェイ!

超テンションあがる!ヤバい、超天国!

行ったのが夜の9時頃だったので、お店の大半は閉まっていたのですが
それでもガラス越しに見える店内の商品とか
まだいくつか空いているお店だとかから見える
アンティークの品々。
それがね、もう、たまらなくいいのですよ。

日本でこういうアンティークの商品が見れるようなお店は
一見さんお断りなお店が多いので入る機会がないのですが
ここでは皆が買わない私に色々説明してくれるし
本当に楽しい。

アンティークの商品も、
いかにもネシア的に雑に汚く飾ってあるんじゃなくて
本当に大切にされて展示されている感じがすごく素敵なのです。
日本人も買い付けに来る事があるらしく
そこには価値のありそうなものから
本当にガラクタまであって
でも私には宝箱のようなところでした。
ネシアはオランダの植民地だったり
日本に占拠されていた歴史があるので
オランダの古い品であるとか、日本のものもありますし
超ワクワクしました。

アンティークルーム!

この写真じゃ伝わりませんが
こういう風にテナントがいくつも連なった通路が
迷路みたいに何本もあります。

このワクワク感っていったらもう!
廊下には古いテレビがゴロっと転がっていたりします。
ホコリをびっしりかぶった鞄とか
大鍋まで売っています
手前がいつもお世話になっているロイムさん。
オランダ人が発行した
世界美術史の本を手にしています。
なんだと思います?
本物かどうかは知りませんが
1976年11月16日に発行された
インドネシアのパスポートに記載された移住VISAです。
76年といったら私生まれてないですよ。
キャンドルスタンド!!
かわいすぎる!
あたまにある二つの突起にろうそくをたてます。
こんな顔してろうそく支えてくれていたら
私は毎日でもろうそくを使っちゃいます
どこの国のでしょうね。
大きさ的に公共の場にある電話のように見えますが
お金を入れる所がないので
違うかな。


購入されて
ダンボールにくるまれて出荷待ちのイスたち。
魅惑の振り子時計
たぶん手前のが美容院のイスで
両脇が歯医者のイスなんじゃないかという
私とロイムの結論
バグース!
すっごく可愛くて欲しかったコーヒーのミル。
壁に固定して使うようですが
ものすっごい使いづらそう。
お値段は27,000円。
高ぇ~
書斎のようなレイアウトがキュンときます。
全部売り物です。
トイレの看板はホイールに挟まれてました
ジョグジャカルタのお土産だったものでしょうか。
キーホルダー。
キーホルダーって絶対にゴミになるのに
たまに買ってしまうんですよね。
なんなんでしょう。
三重の田舎のばあちゃん家にいったら
ばーちゃんが引き出し3段分のキーホルダーコレクションしていたので
血筋かもしれません。
体中にアラビア語を携える
何か……何かの動物…動物?
目的が不透明なわりにはすっげぇでかくて
お店に入りきらないので外で待機。
看板娘。
謎の陶器の鳥さん。
目元がチャーミングです。
ケネディ夫妻(だよね?)のスナップの横に
不自然に直立する自由の女神。

丸善の読者カードなんてものまで売っていました。
活版印刷です。

こんなものたちに囲まれて住みたい。

ここは3階で、3階がアンティークを中心にした階で
2階はエレクトロニクスの階です。(時間的に全部閉まっていましたが)
3階は、アンティークな商品を扱っているのですが
ロイムさんみたいに、アトリエ兼ギャラリーにしていたり
工房として使っている店舗もあって、それはもう楽しいのです。
売れないアーティストたちがこの廃墟で、一ヶ月3000円払って、滞納して(笑)
ここに夜な夜な集っているのです。
お香を炊いて、なぜか上半身裸で
すっごいへたくそな油絵を書いている画家とか
そういう空気感がやはり昭和を感じさせます。

売れないアーティスト、ダフィッド氏(友達)のアトリエ兼ギャラリー。
ダフィッドの作る作品は
本人に似合わず(失礼)すっごいキュートなんです。
私は彼の作品は大好きで
日本で活動したらイラストレーターとして売れそうなのにな
といつも思っています。
彼が作った木の小物たち。

かわいいキャラクターたちがお店のガラスから覗いています。

ちらっ

コーヒーを頼むと
マッチョなおじさんが作って運んで来てくれます
うでがごっつい。
コーヒーは砂糖がこれでもか!というくらい入っていて
でもそれにまけないコーヒーの美味さ。
ここは宝石を扱っているお店で
天然石を指輪に加工したりしています。
アメジストを観察。
普通の商売と平行してこんなこともやっています。
石の模様を切り出して、
風景画だったり肖像画だったりという風に見える部分を探して
それをアクセサリーにして売ったりとかもしているみたいです。
上の二つも、女の人の胸から上の絵に見えるっていうことらしいです。

こんな風に板から探すみたいです。
ひとつプレゼントしてくれました。
これは、
「Mummy(ミイラ)が横向いているみたいにみえる」
のだそうで。(笑)

これが結構マイナーな分野ではないらしく
コレ専門の雑誌まで出ていました。
私は初めて知りましたが。

ロイム氏のアトリエの一角。
作ったばかりという
すーぱー立て付けの悪い引き出しは
カラフルでかわいい。

ロイムの版画。
アーツアンドクラフツ運動をもじったと思われる
アーツアンドドラッグ。
ロイムはまじでめっちゃくちゃ絵が上手いので
尊敬していますが、たまにこういう変なのを作る。笑


食堂にあったお花。
ジャスミンの家族で、ジャスミンの匂いがします。
夜に開くお花だそうで
夜中の1時頃になるといい匂いがあたりに漂うのだそう。

これも食堂にいたお魚。
びっくりするほど真っ直ぐな体です。


 てなわけで、アンティーク天国でした。

私はこれからしばらくはここに入り浸りそうな予感です。



3年ぶりです

ご無沙汰しております、Kuroです。 アーカイブとしてしか機能していないこのサイトですが、 それでもある程度の方が見てくださっているようで有難い限りです。 インドネシア在住時の2年半の間は、ほぼ毎日更新しておりましたが 日本での暮らしに忙殺されて、 書こう書こうと...