2014年9月30日火曜日

まさかのシンガポール再び

実は、
23日~26日まで、シンガポールに居りましたわたくし。

まー、学生ビザを作る為に一度ネシアから出ないと行けないってことで
2000円以下で片道チケットがとれたシンガポールへ。
あれほど嫌いなシンガポールでしたが
もう諦めもついたので
せっかくあんな都会に行くのだから、
インドネシアには売っていないもので必要なものを買っておこうと思いポジティブに。

あれほど嫌いなシンガポール
シンガポールにっき 1「シンガポール」
シンガポールにっき 2「うんこ」
シンガポールにっき 3「であい」
シンガポールにっき 4「とり」
ちょこっとシンガポール


実際、大使館に行って
必要なものを買いそろえて
あとはほとんどどこも行かずにだいたいホステルに居ました。

前回のシンガポールは、4日間の滞在で、2日間は腹痛で寝込んでいたくらい
やっぱり暑いので日中無理して出歩かずに無茶をせず、
ま、特に見たいものもないし金も無いしで
特にやったことはないんですよね。


とにかく、オーガニック系の化粧水と、マジックソープを買う事に。
ネットで調べていて、ある場所は知っていたので
空港から直行で大使館、
それなりに重い荷物を抱えてそのままワールドセンターへ。

さすがシンガポール。都会ですわ。
あるわあるわ自然派化粧品。

Dr.ハウシュカ、アベンヌ、Bioderma、ラロッシュ・ポゼ、ヴェレダ ……
一通りオーガニック系は知ってはいるので(高すぎて手が出せないけど)
見て、
「おー、あるある」
と、じっくり検討。
でも、日本にすでに上陸してて定着しつつあるような化粧品は、シンガポールの方が高かったので
12月に日本に帰国するつもりで考えて
それまでまだ保ちそうなものは除外。
結果、化粧水と、乳液を買う事に。


日本に一時帰国した時に買った化粧水
サンタ・マリア・ノヴェッラは、ネットで3500円くらいして
私的にはすごい思い切って買わないと行けないような値段だったのですが
日本に居た4ヶ月間で使い切れなかったくらい長持ちしたので
そう考えれば、薬局で買う一般的な化粧水と変わらないコスパ。
余った分だけをネシアに持って来ていたのですが
それもついに切れてしまった。
とりあえず急遽近場で探したら、やっぱり薬局とかモールには
パラベン(防腐剤)入りのものしかどうしても見つからなくて
それでもとりあえず肌に優しそうなもので、小さいサイズのやつを買ってみたんだけど
使ってみたらものすっごく痛い!
イタイヨー と思いながらも使ってみるが
ものの3日ほどで顔から粉が吹いて、皮膚がペリペリ剥けてくる有様。

やっぱ駄目だなぁ。


肌弱くなければ、別にパラベン入ってても別にいいんですけど
イタくなるとか、皮が剥ける
とか、実際被害が出ちゃうとやっぱ駄目ですね。

結局、インドネシアの大きなモールに探しに行ったら
ちゃんとありました。1種類だけ。



Derma。
私、Dermaは初めて知りました。

Dermaの化粧水は30%引になっていたのですっごい悩んだけど買いました。
売り場のねーちゃんがちゃんとオーガニックに知識がある人だったので
(ネシア人には珍しい)
色々相談したら良さそうだったので買いました。
匂いが石けんみたいな香りなので
洗顔してんのか化粧水塗ってんのかって感じであんまり好きじゃないんですが
やっと痛くならない化粧水にあえて嬉しい。
使ってみた感じでは保湿効果も高そうだし
保ちがいいので、2ヶ月くらいは使えそう。


こういう、外国産の化粧品っていうのは
ネシアにほっとんど置いてないんですけど
(SK-Ⅱとか、ブランドが出してるのは百貨店に行けば必ずありますが)
たまーーーに置いてある時は、
すっげぇ高い。
日本の製品は化粧品も含めとても人気があるのですが、
こちらで高級品として売られている日本の化粧水というのは
別にオーガニックというわけでもなく日本でどこの薬局にも置いてあるような低価格の化粧品です。

オーガニックなんかは
ネシア人はまだ知識もないから買う人がいなくて試しに入荷してみたものの売れないんですよね。
結構50%引きとかになってることがあるので
そういう時は、日本よりも安くなってますよね。
今回のDermaもそういう意味では掘り出し物でした。
1000円ちょっとで買いましたが、シンガポールでは5000円くらいで売られていた。ギョッ

そんなわけで、色々ケチってますが
化粧水だけはケチれない。


そんなわけでただいまDermaを使ってみてます。
シンガポールで見た時は、割引されておらず
化粧水一本5000円くらいしたので
もちろん手が出せませんでしたが
安くてオーガニックな化粧水とか乳液とか買いました。

次回はそれについて。


2014年9月29日月曜日

マッチョ


暫くは毎日連投していきたい。


さて、前回から続いている強化合宿編。


問題は、時間と場所。


キャンプというからにはまず「山」。
バンドンから車で1時間半ほど山を登り、山の中のキャンプ場へ。
私とオギとベベックとラディットが引率組だったわけですが
私たちは、キャンプに向かう前に温泉へ寄り
ぬくぬくとお風呂に浸かってからキャンプ場へ。

着いた時間は夜11時。

この時まだ私は、みんながキャンプ場で遊んでいるもんだと思っていたので
11時じゃ、あとはもう寝るだけだなぁ。
なんて思っていたのですが、
結果から言うと、朝まで一睡もできなかったのです。

強化合宿は常に夜に行われるものだそうで
真っ暗な山の中、懐中電灯だけを頼りに行動しないといけないということは
新入生である2年生の不安を煽ります。
そして、いつも通い慣れた学校ではなく
地理感の無い山の中。
不安と緊張の中で強化合宿は行われるのです。

キャンプの地図。
住所ひとつ載ってないところが
本当にインドネシアです。

私たちが着くと、そこにはたくさんの大小のテントが。
3年生がコーヒー入れてくれたり、カップ麺作ってくれて
キャンプで食う暖かいインスタント食品の美味さは
日本もネシアも変わらないなぁとしみじみ感動しながら
のほほんとばくばく食べていました。
この時には、「何かが始まるらしい」ことは聞いていたのですが
それがまさか、朝まで徹夜で行われるものだとはつゆ知らず
カップ麺を食べたあとに歯磨きをして、私はすでに寝るモード。

私たち引率組のためのテントも、すでに学生が張っておいてくれていたので
すでに道中でご飯を食べていた事もあり、
特にやることもない私たちは
暖かいもののんだり、おしゃべりしながら
そのイベントが起こるのを待っていました。


夜中1時。
なにやら学生たちが動き始めたので
なにかしらと思っていると、どうやらそのイベントが始まった模様。
2年生は4つのグループにわかれて、真っ暗でとても寒い山の中を
懐中電灯だけでポイントに向かって歩いて行きます。


ポイントは全部で4つ。
そしてそのポイントごとに、
たき火が燃やされ
そこに先輩たちが待機しているのです。



その4つのポイントはそれぞれ


POS1、Panitia PSDP 2014
    (PSDP)pengenalan studi desain produk
      プチ・オリエンテーション(自己紹介など)

POS2、Masa INDES
    (INDES)プロダクトデザインの子に所属義務があるグループ
     INDESの説明会

POS3、Masa liga KMSR dan Pasar seni
    (KMSR)デザイン美術学科の子たちが所属するグループ
     KMSRの説明会

POS4、Alumni
    (Alumni)=卒業生の意味
     先輩5年生からの説明会



と、役目が分かれています。
(POS5はまた後で。)

予定表を貰いました。

私は、一番最初のところから、2年生のグループの後を追う形で
着いていきました。

この合宿をCAPOLAGA(カポラガ)と呼ぶのですが
このCAPOLAGAがある前に
2週間、デッサンしたり、モデリングしたり、デザインの勉強があって
その最終儀式がこのCAPOLAGAにあたるそうなのです。


なのでバイオグラフィーを申告するところでは
まあいわゆる新入生の自己紹介みたいなもので
これからプロダクトデザイン専攻に所属するにあたって
先輩たちに自分の名前だったりとか
この2週間で学んで来た事で生まれた悩みとかを相談するようなところになっています。

そういう事は、日本だと
普通教授が担う役目だと思うので、
先輩たちがこういう風に全面的に引き受けるっていうのは
私にはかなり理解しがたいものでもありました。


次はMasa INDES
2年生が、そのポイントに近づいていくと、
「うさぎ跳びして来い!!」
と、3年生の先輩たちが叫び、2年生はなぜかうさぎ跳びでそのポイントへ。
うさぎ跳びに意味あるのか?って感じですが
いわゆる辱めに近いですかね。


そして2年生は、先輩たちに
デザインについての知識や、経験や、考えなどを全て話さなくてはならないのですが
そこで、考えがまとまっていなかったり
知識が足りなかったりすると
「お前、バカじゃねーの!?」
とか
「ふざけんなよ!」
とか、めちゃめちゃ叱責されます。

それを言う先輩たちっていうのは、いつも私によくしてくれる子たちばかりなので
私も見ていてなんだかオロオロしてしまいます。
変な発言をすれば、大勢の先輩たちに大笑いされ
バカにされ、怒鳴られ、そのプレッシャーの中で発言するというのは
とてもメンタルが鍛えられるわけです。

そしてこの暗さ。
そして寒さ。
周りは真っ暗で
ポイントにあるのはたき火のみ。
暗さの中で、顔がよく見えない先輩たちに
自分の小ささや未熟さを確認させられるのです。

3つ目のポイントは、Masa liga KMSR dan Pasar seni
ここでは、デザインプロダクトのみならず
デザイン・美術学科すべての学生が所属するおおきな枠組みの中で
2つ目のポイントと同じようなことが行われます。

暗くて写真が代わり映えしない…

そして4つ目Akumni

待機しているのは大先輩、5年生。
今まであったたき火もそこには無く
坂の上で仁王立ちして待機している先輩たちが、
懐中電灯で2年生を照らして尋問していきます。
今までの中で一番不安な顔を覗かせる2年生。

5年生は、私が一番親しくしてる学年なので
私も一緒に坂の上で2年生の様子を観察していたのですが
「クロもそこに座って体験してみなよ」
なんて言うので
こんなにまじめな場所に、私が入っていって雰囲気ぶちこわさないかしら
と不安だったのですが、
そうそうできる体験ではないので
躊躇しながらも2年生と一緒に並んで正座。

そうして一緒に並んでみると、
気分は本当に惨めになるのがよくわかります。
坂の上から懐中電灯で照らされ、
先輩たちの顔は一切見えない。
刑務所に入ったらこんな気持ちになるかも。なんて考えるくらい。
尋問してくる子たちは
顔も名前もよく知っている友達ばかりなのに、
気持ちはすごく不安になります。


私がヘラヘラしてると
オイ、笑ってんなよ!
の一言。


ごめんなさい、こわいです。


そんな中、私に浴びせられたヤジは
Jangan Putih Putih!!

英語に直訳すると
「Don’t Be So White!」
っていうところでしょうか。
白すぎなんだよ!
みたいなことです。

暗闇に溶ける茶色い肌のネシア人に混じって
白い肌の日本人の私はそんな風にやじられて
ああ、白くてごめんなさい。
非常に不条理なヤジなのにそんな気持ちになります。


ネシアの教育は、前大統領の方針もあって
軍隊がベースになっているそうで
アート系の学生といえども、まるで体育大学のように
マッチョな教育が行われる訳です。


こうして学生は、
恥を捨て
恐怖に打ち勝ち
自分の気持ちを表にさらすという
そういうことを身につけて行くのです。




そうして4つ目のポイントを終え、私も皆にお礼をいい
最後のイベントへ。

POS5:POS Persiapan inisiasi INDDES
      INDESの始まり

一周し終えた2年生は
全員集められます。


男子は腕立て
女子は腹筋をさせられます。


といっても普通の腹筋はなく、
一列にならび、自分の足を、自分の後ろの人の肩に乗せ
全員で一緒のタイミングで腹筋をしないといけません。

その間にも、
ヤジは休む事無く飛び続け
「チンタラやってんなよ!」
とか
「ふざけてんじゃねーぞコラ!」
なんて、今までで一番ひどい罵声が飛び交います。

腕立てする下級生を取り囲む上級生。
怖い。


「クロも何か言え」
ってことで、こんどはヤジ側に周り

「Angin Lur!」このくそ野郎が!
とか
「Goblok Sia!」まぬけが!

みたいなことを言わされました。(皆ごめんね)

ヤジを言うのも、2年生と一緒に叱責されることも
ものすごい躊躇してからやったのですが
どちらにしろ私にはものすごい勇気のいることでした。
私にはちょっと間の抜けたヤジしか飛ばせなくて
真剣な2年生に向けて罵声を飛ばしたあと
私の手は少し震えていて、こんなに勇気のいることなんだなと初めて知りました。
ヤジは、愛があって初めてできることなんだな、と分かったような気がします。
みんなは自分がそうされた経験もあるし
もう慣れっこで、ヤジが上手いというと変ですが
ドスの効いた声で、迫力のあるヤジを飛ばし続ける。
すごい。

ところで、この時点で、朝の5時前。
朝の5時に、真っ暗な山の中で
罵声を浴びせられながら腕立て伏せをする。
やばいマッチョ。

これらが終わると、
最後に
「お前たちは、これで俺たちの仲間だ!」
みたいなことがあって、この儀式は終了します。
(昔の熱血学園ドラマみたいです)


そしてもう朝の6時を迎えようとしていました。


最初は全く理解できなかったこの行事も
最初から最後まで一緒に見届けて
途中では一緒に参加させてもらって
これをやる意味っていうのが少し分かったように思います。
ネシア人の上下のつながりの強さも。


全部終わって、先輩たちは朝ご飯たべたり
そのまま帰ったりして
2年生は眠りにつきます。

私たち引率組も、そのままバンドンへ戻り
朝ご飯を食べて、各々家に戻って寝ました。


そんなわけで、ネシアの教育の片鱗を垣間みた週末でした。



2014年9月28日日曜日

キャンプ


いつも研究室に入り浸せて頂いている私ですが
先週、助手のオギから

「クロ、今週の土日空いてない?生徒の引率でキャンプ行くんだけど」

って言う事で、
どーしようかなぁ。と思っていたものの
ぎりぎりになってやはり行く事に。


こういう行事は、日本だったら絶対に行かないのですが
ネシアに居るときは
「何かあるかも」
と思い、最終的に重い腰をあげて一緒にくっついていくのです。


そんなわけでキャンプ。
いつものことながら、詳細など何も知らされていないので
どこに行くのか、何をするのかなど
何にも知らない私。
別にあえて質問しない私も私なんですけど。


私は、学生が、遊ぶためにキャンプをするのを
大学の名前をしょっているからには変な事されては困るっていうことで
助手が引率するんだと思っていました。

結果からいうと、
それは全くもって間違っていて
プロダクトデザイン専攻の新入生の強化合宿だったのです。


前に、「キレるネシア人」の記事でも書きましたが
ネシアは、上下関係がすごく強いつながりで結ばれているのです。

キレるネシア人」の時は、
卒業式のためのイベントに向けたものでしたが
今回は、新入生のための「メンタル強化」イベント。
学科に所属したばかり(専攻が分かれたばかり)の2年生のために行われるものでした。
そこに集まった、3年生、4年生、そして5年生。
日本の学校と違い、4年で卒業する学生というのは
ものすごく少ないのです。
入学は簡単だけど、卒業は難しいっていうアレですね。
なので、5年生、6年生が山ほどいます。

2年生が参加者
3年生は実行委員
4年生以降が教官
という感じでしょうか。

日本の体育大学は
1年生が奴隷
2年生が平民
3年生が大統領で
4年生が神
だというポリシーがあると聞いた事があります。
そこまで行かないにしても、そういうヒエラルキーがここにもある。

私も、この行事が何なのか
ネシアの子に説明してもらってもなかなか理解しがたいもので
ずっと見ていて、終わる頃にやっと納得したような状態なのですが
2年生の知識を確認して、やりたいことをハッキリとさせ
弛んでる心をピシッっとさせるのが目的といったところ。
私は、中学高校の部活動や大学のサークルに所属していなかったのですが
たぶんそういう上下関係と似ているかと思います。

そんなわけで、

次回に続きます。


4年に1度の学祭
Pasar Seniまであと69日。(の時の看板)
毎日カウントダウンしていています。
あと50日くらいかな。

5年生が毎日夜遅くまで頑張っています。

2014年9月27日土曜日

大学院




そう。
この記事をこっちに戻って来てから真っ先に書かねばならないことは
私も重々承知していました。

でもね、書けなかったんです。
書けなかったという事は、入学できていなかったという事です。

去年、大学院を合格したにも関わらず
同時に取得したダルマシスワ奨学金が、大学院に使えないと分かり
大学院入学を延長して、単位取得コースではないプログラムで
ITB大学で聴講という形で一年間勉強していました。

そして、今年の9月、まさに今
入学予定ということになっていました。
そう、なっていました。

日本に戻った今年5月。
帰る前に、入学するにあたって
改めて試験を受ける必要があるかどうかなどを聞いてから帰国。

日本に帰って改めて
大学院入試がある時期に合わせて問い合わせメールを送るも返信なし。

7月に催促のメールをすると
8月、私がネシアに戻る約2週間前にこんな連絡。

「クロ、あなたが去年受けた試験結果はもう使えません。
改めて受験し直してください。来年の1月に試験があります。」


ええええええええええ


でも、もうビックリしない。
私の中には既に「ネシア人」としての私が出来上がってきているらしい。
こういう時は、メールで色んな人に問い合わせるよりも
現地に行った方が早い。

「そうですか。どうもありがとう。」

とだけ返信をして、現地入り。


事情を先生に話し、
すでに始まっていた大学院の授業と同時進行でなんとか入学する手続きを押し進めました。
色んな所を回りに回って
事情説明書を書き、
それを受け取った先生がまた事情説明書を上の人に書き
それを受け取った人が学校のヘッドに書いて、
ゴリ押ししてもらいました。
先生、いつもご迷惑をおかけして申し訳ありません。

1週間遅れで、大学に籍がないまま授業に参加。
足りていなかったTOEFLの試験を受けました。
TOEFLといっても、ITB大学が出しているTOEFLなので
通常のTOEFLとは問題も違ければ、スコアも異なります。
大学院入試には77点が最低必要なのですが、
去年の3月の私の結果は66点。
そして今年9月、再試験。
再試験することが決まってから、再試験するまで4日ほどしかなく
しかも予定ぎっしりということでまったく勉強できず、ぶっつけ本番へ。
結果は68点。


こ れ は ひ ど い


試験は思ったよりも出来た感覚があったのと
いくらなんでも1年いたらあがっているだろうと思ったのですが
私の言語スキルはインドネシア語のみに発揮されていた模様で
英語は全くの進歩がなかったことが発覚。



これは ひどい。 ひどすぎる。



そもそも、留学生というのは
ある一定条件を満たしてから来ている
優秀である程度お金持ちの人が留学するものです。
おバカでお金も無い私が本来するものではないのです。

私はいつも、背丈に合わない事をしたがるようで
それのせいで、皆々様にご迷惑ばかりおかけします。ごめんなさい。

2点しか上がらなかったというものすっごい気まずさを抱えながら
事務の怖いおばちゃんに
「すいません点数足りませんでした……」
と報告しに行くと、
予想していたあきれ顔ではなく、マジで大丈夫かこいつという心配顔をされ
そして上の方に電話してくれました。
もちろん受話器の先の電話の声は聞こえないんだど
結論からいうと、
入学できました。

その後はどんどん正規の手続きを済ませ
学生証を発行してもらい、学籍番号が与えられて
無事に大学院生となりました。(無事か?)

きっと受話器の向こうでは
「もう面倒だからあのバカな日本人をとっとと入学させよう」
という会話がされていたに違いない。



入学できたはいいですが
ぶっちゃけ、バカな日本人は授業で教授が話している事がほとんど理解できていません。
ITB大学の、私の居るデザイン・美術学科にはインターナショナルクラスが無いので
授業は全てインドネシア語。
学生も私以外全員インドネシア人です。
とはいえ、アジアの大学院というのは普通そうなのかもしれませんが
パワポが英語で書かれていたりして、現地語だけが使われるわけではないのです。
ネシア語も英語もよくわかっていないこの駄目な学生は
それでも、土日使って宿題したりしながら
なんとか学生生活を送っています。

英語があまりに出来ないので入学できるかが心配の種だったのですが、
入学したらしたで、進級・卒業できるかが不安です。
2年で卒業できるのかしら。

とにかく、入学できました!
ありがとうございます。

どの授業も基本的にパワポで作ってあるので、
喋りだけで授業をする先生が居ないのが今の私にとってはありがたい。
普通にノートをとるのが間に合わないので、こうして写真にとって記録しています。

この時はインドネシアの乗り物と人の関係性について。
ネシアでは、電車の上に乗ってただ乗りをする人が沢山いたり、
安全な乗り物の使い方がされていないのですが、

そんな時に隣に座っている新しい友達、
ユダが見せて来たこの写真

一瞬なんなのかが把握できないこの迫力。
自転車でレンガを運ぶおじさん。
これを見た瞬間、
キジンとユダと3人で声を押し殺して死ぬ程笑いました。


2014年9月26日金曜日

停電



最近、すごく停電が多いバンドン。
お店でブレーカーが落ちたり、街の中で停電が起きる事は少なくないのですが
最近ちょっと多い気がします。

お店でブレーカーが落ちる時は、すぐに復旧しますが
街全体で停電したり、学校単位で停電すると、2、3時間は復旧に時間がかかります。

先週くらいですかね、
日本人からのお客さんが色んな所から研究室にいらしたのですが
そういう時にインドネシア人が必ずするのが 掃除。
普段掃除を絶対にしないのですが、お客さんが来るとなると研究室総出で掃除します。

でも、掃除といっても、箒で履いたり、ぞうきんで拭いたりってことはしません。
彼らにとって、掃除というのは模様替えなのです。
なぜか、毎回、お客さんが来る度に部屋のレイアウトを変えたり、テーブルの天板を張り替えたりします。もちろん机を動かせば、今まで掃除をしなかった分のホコリが出てくる訳ですが、誰もそれを掃除しないので
皆が一生懸命レイアウトを変えている間をぬって、掃除するチャンス!と思い、私は箒で掃いて、ぞうきんがけをしました。

レイアウトも新しくなって、まあ別に使い心地が良くなったわけではないんですけど
そりゃあもうソファーから綿がでていることには変わりないですし。
それでもともかく一新したという感覚が私たちにはあったわけです。


そして、日本から企業の方がみえるということで、
3Dプリンターでかっこいいものを作っているところを見せようと見栄を張り、企業の方が見える時間に合わせていい感じに作業が進んでいるように3Dプリンターを動かしていたんですね。
こういう見栄のはり方は、まあどこの国も一緒でしょうね。

そんなわけで、
掃除して、
レイアウト変えて
コーヒーが置いてある汚いテーブルの天板を張り替えて
自転車の縮尺モデルを半分くらい印刷し始めて
色々準備万端。
用務員さんに至っては、この日に備えてなのか、髪の毛を切ってきていて清潔感あふれる姿に。

あと数時間で日本人くる!
って言うときになって、バスン!と停電。

この時は、学校単位で落ちたので
復旧がいつになるか分からない状態。


最近買ったばかりの最新型のMACと
タッチスクリーンディスプレイのWindowsには
3Dプリンターに送るためのかっこいいっぽいデータが写し出されていたのに。
コンセントから直接電源をとってるデスクトップなのでもちろん真っ黒。

3Dプリンターは、志半ばで停止。

呆然とするアシスタント。

こんなに頑張ったのに。


当初の予定は
「わ~すごいですね、この研究室では普段から3Dプリンターでこんなにかっこいいものを作ってるんですね!」
って言われる予定だったのに

「インドネシアという国には、まだ電気が通っていないのですか?」
と言われることに成りかねない有様に。



結局、日本の方がみえるまでに電気は復旧したのですが
再稼働させた3Dプリンターはまだ2mmほどの厚みしか出来上がっておらず
何を作ってるのか意味不明。
結局データを再送信させたパソコンは汚いノートパソコンからで
最新式のMACには、Facebookが映っていただけという結果に。

しかも悪い事には、日本の方の滞在時間が30分に満たなかった事。
せっかく髪を切った用務員さんも
意味ねーじゃん!
な顔。


そんな研究室の日常です。

2014年9月25日木曜日

洗濯


お次は、洗濯ものを干すスペース。

洗濯は、コサンに住んでいた時には家賃に含まれていたので
毎日、管理人さんが下着以外の洋服をタダで洗濯してくれていました。
全部にアイロンがけしてくれていたので、本当に楽だった。

次に住んだコサンには、洗濯は含まれていなかったので
コサンの前にあるランドリーサービスを利用してました。
私が利用していたところは3kgまで180円でやってくれて
そこは下着も洗濯してくれて、アイロンがけももちろんしてくれます。

そして今回一軒屋。
大家がランドリーサービスを営んでいるので、そこに出してももちろんいいのですが
とにかくインドネシアでは、お金を消費する一方で収入がないわけなので
お金をしっかりセーブしないといけません。
なので、今回からは、全部自分で洗濯することに。
もちろん洗濯機などないので、すべて手洗い。
といっても、全部を洗濯板でゴシゴシ洗って、脱水して、干して、アイロンがけして…なんてやっていたら、学校との往復とそういった家事だけで一日があっという間に終わってしまうので、テキトーに洗ってます。
水に洗剤を薄めに溶かして、つけ置きして、1時間くらいしたら4回くらい綺麗な水ですすいだ後、軽ーくしぼって、びっちゃびちゃのまま干します。
私はいつも夜中に洗濯するのですが、次の日の夕方、学校から帰って来るころには大体乾いちゃってますね。

余談ですが今回の一時帰国では、こっちにもってくる衣服を全面的に買い替えました。
今までは、汗をかくことと、乾く早さを重視して、化学繊維多めのものを持って来ていたのですが、やっぱり熱がこもるので、ほぼ全部、綿か麻に切り替え。そして肌に密着しない、ちょっとゆったり目の服を買いそろえました。綿か麻の服で安いものとなると、大体無印になるので、いやー今回は無印に大分お金を使いましたよ……ちくしょう



さてさて、そんな洗濯ですが
この家に決めた理由の1つが、洗濯を干すスペースがちゃんとある。ということと、そこに屋根がついてる。ということがあります。

でもね、やっぱりインドネシア。

全部がテキトーなので、洗濯を干すスペースのひもも、こんな感じでダラーンとしてるので
結局洗濯物が全部中心に寄ってしまって、全然干せる量が少ないんですよね。


こういうものに、あまり疑問をもたずに永遠と使っちゃうのがインドネシア人です。
まあ、そもそもインドネシア人は洗濯をしないので
(お手伝いさんとか、さっき言ったランドリー店で洗濯するからです。)
あんまり必要ないんでしょうけど。
そもそも、一日着た服を何日もぶっ通して着る人たちなので、私みたいに1日に2回も着替えないので、そんなに量も出ないんですよね。

でも私はとにかく、衣服は清潔でありたい!
私はあまり掃除好きではないのですが、洗濯好きなのです。
一回でも触れたものは、とっとと洗濯したい。
なので自然と洗濯する量は多くなります。

それがさっきの洗濯ヒモでは叶わないので、今まで使われていたらしいスズランテープで作られたヒモをぶった切り、夜中にビニールヒモを買いに行きました。
干した時に重みでひしゃげるのはどうしようも無いので、ハンガーが内側に寄らないようにもくもくと結んで玉を作る。


そして可能な限りピン!と張る。
(でもコンクリに刺してある釘が引っこ抜けるのである程度。)


おおおお 美しい。
見よ、この後ろのヒモとの比較を!

後ろのヒモは、下の住人が使っているので、許可無く張り替えてはマズいと思い
とにかく自分の分をこうして快適な環境へと作り替えました。

この日は具合が悪かったので、ぜーぜーいいながら
夜中の12時にこれを張っていましたが
やっぱり張ってよかった。


こういう、セコセコしたことを最近よくやっています。


例えばティッシュペーパー。
ネシアのティッシュは基本的にビニールに入っているのです。
別にそれでもいいのですが、やはり外箱がないのとティッシュを引っ張った時に支える土台がないので、いっぱいでてきちゃうのがもったいなくて嫌だったんですよね。

こんなかんじで
最終的にテローンとしちゃう
それが、箱入りティッシュを発見したので購入。


とはいえ一個120円もする高級品なので、もちろん使い切ったら捨てる、などということはしません。
使い切ったら、いつものようにビニールに入ったティッシュを買って来て


45°の刃のカッターで、紙に影響が出ないように、キレーーにはがして、


ティッシュを詰めて、マステでフタ。


うんうん、いいじゃないいいじゃない。


こういう、経済的な主婦みたいなことをやっている時に、
一番生きているなと実感します。


一仕事を終えたあとのお夜食は
パパイヤと、体調悪かったので葛根湯と、TimTam。




2014年9月24日水曜日


引っ越し先のお家編 その2。

これが引っ越してすぐ、荷物を全部とにかく詰め込んだ時の状態。
私の荷物は全てミアの家に置かせてもらっていて
そこから引っ越し業者に頼んで、1700円ほどで全部運び込んでもらいました。


みて分かるとおもいますが
気になるのはベッド。

実は、日本にいく前に大家が
「ベッドいる?いるなら買っておくけど。」
というので、
ベッド買わなきゃなぁと思っていた私はラッキーと思い
そのままお願いしていました。
(今まで住んでいたコサンには、ベッドが部屋に備え付けられていました。)


その結果がこれだよ……


このカバーのあまりの可愛さに辟易するのはもちろんなのですが
そもそもこれ、ベッドじゃねーし、ていうか買ってねーじゃん

恐らく太古の昔に誰かが使っていたベッドの 中身 だけがこうして私のベッドとして再利用されているのです。
もはや厚みも均等ではなく、持ち上げると劣化したスポンジ部分がパラパラと床に落ちるありさまです。

スポンジのせいで床がザラッザラ!!
でもね、むかつく事に
寝てみるとわりと寝心地がいいから腹がたちますね。


2日間は仕方なくこれで寝ましたが、あまりにも不衛生なので、新しいものを買いに行きました。マットレスは2階の私の部屋に運び込めないのと、それなりに値段が張るものなので
掃除のしやすさを考えて、折りたたみ式のマットレスを買う事にしました。
それがこれ。

 
トーマス。

私が小学生くらいの時、まだデカイスーパーがなくて
商店街がちゃんと機能していた時
布団屋さんに、こういうのあった気がしますね。

この時はまだ例の電球を買えていないので
フラッシュをたいて撮影しています。
いかに部屋が暗いのかがよく分かっていただけるかと。

トーマスは1900円くらいで買いました。
敷いてみるとよくわかるのがその薄さ。

ペラッ

でも、床がインドネシアにしてはめずらしく木で出来ているので
(普通はタイル床が一般的)
薄くても寒くないし、背中が痛くなることもなかったので、そこはよかったです。

でも、前の住人が、床のシートを
前のをはがさずにどんどん上乗せしていったらしく
はがしてみると、3層のシートが塵を挟み込んだまま重なっていまして。

柄も嫌だし張り替えようと思って見に行ったのですが
正直ろくでも無い柄しか無かったので、今のところこれで我慢。
隅の四辺を剥がして、そこだけ掃除機でお掃除。
どうしようか考え中です。


部屋の整理が全く済んでいなかったのですが
寝る場所はとにかく必要なので、さっさと買ってよかった。
日本から持って来たベッドシーツとカバーをつければ、それなりに快適です。
枕カバーはバスタオルで代用。

しっかし暗い

そう、忘れちゃいけないのはさっきのスポンジベッド。
汚いので捨ててくれ
とばかりにとっとと下の階の部屋に住んでいる大家に返却。
すると
「ちょうど、ここに置く椅子を探してたのよね!」
と、とっととクルクルまるめて椅子らしき何かにしてしまいました。
まさか共有空間に放置されるとは……。

寝る場所が準備できたので、ここから私の色々な悪戦苦闘が始まります。

我が物顔です。


2014年9月23日火曜日

200



実は、公開した記事が、今回で200件目だそうです。
インドネシアに住んでるのは実際に1年と1ヶ月目なので
約390日くらいの中で200件っていうのを見ると
結構書いてるなー
なんて思います。

お仕事で書かせてもらっているブログは週に1回必ず書いていて
それも1年超えたので、50件くらい書いてるかと思うと
すごい文字数書いてるな、と思い知ります。


ブログ記事は、公開したけど削除したのとか
(Googleの規約にひっかかったらしく、約1ヶ月、検索にひっかかりにくくなるペナルティをくらったので)
記事らしくない記事とかもありますが
それでも、一応公開してる記事は今回で200件目
ということになるそうです。

こんなに続くなんて、本当に夢にも思っていなかったので
コメントくださったり、
コメントは書かないけど会った時とかに「いつも読んでるよ」って言って下さったり
教えてくれないけどこっそり読んで下さったり
そういう人たちにありがとうと言いたいです。

ありがとうございます!

2014年9月22日月曜日

電気


暫くは毎日お昼に更新です。


イエス。引っ越しをしました。


念願の一軒家。

前に書いた記事の一番最後に書いた家です。

年17万円で、1人で住むには少し広すぎるかなと思うも
これ以上いい物件が見つからなかったのでここに。


引っ越し自体は8月中に済ませていたので
すでに3週間くらいはここに住んでいます。


そして、この物件に決めて
日本に帰る前に頭金を支払いに行くと、大家が
「私も一緒に住む事にしたわ。だから家賃は残りの部屋二つ分で年7万でいいわよ。」と一言。

えー!
拒否権なしですか?

なんのために私が一軒屋を探してたと思うんですか?
それは1人で住みたいからに決まってるじゃないですか!

「いや、でも私夜型で、結構うるさいと思うんですけど」
「ンガパパ!(別にいいわよ)」
「いや、でも私、豚肉料理しますけど。」
「ンガパパ!(別にいいわよ)」
「いや、でも、ええー……」

私は結構、グイグイ来る人に対して
意外とノーと言えず、後で後悔する人間なので
とりあえず、
どうせ大家が住むのなら
もういっそ、借りる部屋は一個にして
年5万にしてもらいました。

こういう一個一個にストレスを感じてると
本当に生活がいやになっちゃうので、とにかくポジティブポジティブにいこうと思います。

この家は2階に1部屋、
1階に2部屋あって、私は2階なので、それなりにプライバシーは守れるし。

そんなわけで、2階に私1人と
1階の部屋の1つに   大家と高校生の娘(反抗期真っ盛り)
1階のもう1つの部屋に アチェ(スマトラ島の一番端)から来た新婚夫婦
が一緒に住んでます。


この部屋に決めた大きな理由は、
開閉する窓があること。
この一点につきます。

ネシアの、学生が住むような家やアパートには
大体窓がついてない。
あるとしたら換気用としてあいている 穴 だけ
もしくは
あらかじめ隙間がもうけられている窓。がついているだけ。
なので、とにかく、開閉できる、できれば大きめの窓が
どーーーーーーーーーーしても欲しかった私。

そういう意味で、この部屋は
私のプライオリティ・ナンバーワンの 窓 がついていて
もうそれだけが決め手と言ってよかった。

朝、ちゃんと日光が入ってくることがこんなにも嬉しいなんて。
朝、日光で目が覚めることがこんなに素晴らしいなんて!
あまりにも窓が嬉しすぎて
日本で安いカーテンを買ってきたくらいです。

実際、住んでみると
よく風が通ってすごく気もち良いし
何より、部屋の空気が新鮮というか、淀んでない。
それに加えて今回は空気清浄機まで持って来たので
空気が まとも なのが嬉しい。


前まで住んでいたコサンでは
部屋に、電化製品が出す熱気を外に逃がすために
住人が往来する廊下に向けて、ドアを開けっ放しにしなきゃいけなくて
常に、廊下を通る人から中の様子が丸見えだったし
虫なんかもガンガン入って来るのが悩みだった。
この家では、二階は私だけなので、ドアを開けっ放しにしていても誰の目も気にする必要がないし
天井も高いので、熱気がこもらない。

熱、といえば
一番熱を出すのは、やはり電球です。
ネシアはとにかくインフラが整備されていないせいか
とにかく暗い。
誰の家に行ってもとにかく暗すぎる。
学校でも、昼間だからという理由で
教室でも電気をつけないので薄暗い。

ネシアに住み始めてからの私の健康被害の一つは
視力がガクっと下がった事。

そんなわけで、とにかく誰よりもワット数の高い電球を使っているのですが
つまりは、とにかく熱くなる。ということなのです。


私が入居して、まず愕然としたのが
今まで見て来たどの部屋よりも暗いこと。
大家がとにかくケチっているだけである。

「部屋が暗すぎて何も見えない」
「マサシー!(ホントに?) あれだよ、卓上ライトを買えばいいんじゃない?」
「(マジで言ってんのか…)」


どれだけ暗いかというと、
夜、電気をつけて
部屋の写真を撮ろうとしたけども
フラッシュがないとキツイ。というくらいに暗い。

私が入居してまずまっさきにやったことは電球を換える事。
自分の机と、大家が使ってるテレビの台と、そして椅子を借り
ブレーメンの音楽隊さながら
4メートル上にある電球を買えました。
ついでに、口を二口のものを買って来て
売っていた電球の中で一番ワット数の高いものを二つ。
省エネタイプなので、24Wの電気消費量ですが、明るさは125W。
それを2個つけています。



おおおおおおお!明るい!
文明って素晴らしい!

なんとしても夜に明るさを手にしようというのは
文明に固執する愚かな行為かもしれませんが
視力が下がるという実害が出ているだけに
暗さに耐えるということが、あらがう事よりも利益も生み出さないと思い
私はこうしました。

電気に対して、ほとんど感心を持っていなかった
何の不自由も感じていなかった日本での生活では分からなかった。
ジェームス・ワットはきっと、
「一日がもっと長くなれば、もっと活動できるのに。」
と思って電球を作ったんだろうな。
と、そういう根源的なことを考えるようになる。

そんなわけで私は
夜中の1時でも、なんの問題も無く本が読めるわけです。

そして、明るくなると色んなものが見えて来る。
誇り、チリ、汚いもの色々 そして、夜に一番出会いたくない虫、G。

そう、ひとつ進化すると、また別の問題点が見えて来るものなのです。




2014年9月21日日曜日


外国に留学したり、住んだりする人が
最も恐れることの1つとして、
「歯が痛くなる事」
が挙げられると思う。

留学中に虫歯になって、一時帰国した。
とか
留学先で歯医者に行ったら症状が悪化して、帰国してもう二度と戻ってこなかった。
とか
そういう話はアメリカだろうがイギリスだろうが
すごくよく聞きます。


私の友達で、中国で働いている日本人が居ますが
日本に帰って来ると、歯医者の治療のスケジュールによって
中国行きのチケットをいつ買うかが決まるそうです。
そのくらい、外国で歯を治療してもらうことは
絶対的恐怖
なのです。

私ももちろんその1人。
医療が進んでいる国で治療するのでさえ怖いのに
ましてやインドネシア。
歯が痛くなったりしようもんなら
即、日本行きのチケットを手配するでしょう。


とはいえ、
私は幸運なことに、信頼できる歯医者さんが日本にいるので
一時帰国の際には歯に異常が無くても必ず見てもらいます。
インドネシアに行く事を伝えると、
不安要素を全部治療してくれるので
ネシアで歯が痛くなった事はありません。

今回の一時帰国の時には
虫歯になってしまっていたらしい親知らずを抜いてもらって
あとは、普通だったら様子見になるような虫歯予備軍も全部治療してもらいました。
そして、
「欲しい薬があれば適当に処方箋出してあげるよ」
とのお言葉を頂いたので
痛み止めと抗生物質を念のため。
それから
うがい薬を出してもらいました。

(余談ですが、歯医者さんは内科なんかのお医者さんと違って
処方できる薬が少ないらしいので、
薬を出せる時に出したほうが儲かるっていう話ももちろんあります。)



そんなわけで、
私はネシアで気を使っていることはたくさんあるのですが
そのうちの1つが 歯 です。

日本に居る間に
一年分の歯ブラシを買い込み
歯磨き粉と、洗口液と舌磨きを準備して
ここへ来ました。

歯ブラシなんてなんでもよくね?
と思うかもしれませんが、それは大きな間違いで
ネシアの歯ブラシは日本のものの3倍くらいデカイので
奥まで歯ブラシが届かない。
なので、私の大好きなKENT歯ブラシをネットで箱買いし
舌磨きはリフィルが交換できるものを。

KENTの豚毛歯ブラシを箱買いと
バタラーが安かったので2本
それから超コンパクトヘッドのクリニカ1本。

ドイツの舌磨きとリフィル。
寝てる間の菌の繁殖を抑えるために。
今つかってるのは赤い液がついて真っ赤になっちゃってますが。

歯磨き粉はもちろんセッチマ様で
フッ素入りのはコンクールF。
コンクールはそれはもう素晴らしい活躍を見せるので今回は洗口剤も一緒に。
一回で5滴くらいしか使わないので
毎日つかっても一年は保つと見込んでいます。

左から
セッチマ歯磨き粉
コンクールF フッ素入り歯磨きジェル
洗口液
そして、
歯垢チェックのための、赤い液。準備万端です。
歯磨きの仕方はどうしても癖が出るので
たまにチェックするといいです。

さらにはドルツ。
これは、行くギリギリまで買うかどうか悩みましたが結局購入。

せめてもの悪あがきで
タッセルをつけて可愛くしてみた。

電池で動いてくれるのが、エネループを持ってきている私にとって最大の決め手になりました。
デザインも色もまーとにかくダサいのですが
替えブラシが4本ついて2000円くらいだったので購入したものの
わりと普通な最新モデルが3000円以内で出ていることを後で知って愕然。
ヤスリでフラットに削りたい。
これは、学校とか、外出先用。

そしてこいつがうがい薬。


優秀すぎて、ネシア滞在がまだ一ヶ月たっていないのに
すでに一本使い切ってしまいました。

自転車に乗ったり、バイクの後ろに乗っていて
排気ガスを吸いすぎた日なんかは、喉がおかしくなるのですが
こいつでうがいすると、そのおかしさが明らかに軽くなります。
処方箋薬なので、日本から送ってもらう事もできないので
残りの一本は、緊急用として控えにまわす事にしました。


インドネシア人はといえば
何故なのか分からないんですが
すっごい歯が白いんですよね。
それはもちろん、肌の色が日本人に比べて圧倒的に黒いので
相互作用でそういう風に見えるっていうことももちろんあるのでしょうが
なんだか歯が分厚いというか、まあ、強いんでしょう。
タバコをガンガン吸ってる人も歯は真っ白な人が沢山いて
本当にうらやましいです。

そういう、健康面でインドネシア人をうらやましく思う部分は沢山あります。
胃が強いとか、肌が強いとか、記憶力の良さとか。
こういうのは全部逆説的に
そうならないといけないような環境
がそうさせているんだと思います。

日本人は本当に弱い。(とりわけ私の健康面に関してはひどい)
ウイルスに対しての抵抗力がないだとか、太りやすいとか
胃が弱いとか、ストレスを受けやすいだとか
そういうのは、日本が
そういう風に弱くなるだけの余裕がある環境
がそうさせてるんだと思うんですよね。

だって、インドネシアに来てから
私の色んな事が変化して、強くなってきている気がするからです。

その辺はまた今度。 

2014年9月20日土曜日

腕時計



この前の一時帰国の時のバイト先が
タイムカードの打刻時間にスーパーシビアだったのですが
その時に、2年くらい使って来た時計が微妙に遅れるようになっていました。
その時計は世田谷のボロ市で800円で買った時計だったのですが
結構気に入っていたので、電池交換で直るようだったらそのまま使いたかったのですが
やはり壊れているという事で、新しい時計を買う事に。

バイトは毎日あったのですが、
打刻が1分でも遅れると事情説明書を書かねばならないという
とんでもなく面倒なことになるので
夜7時にバイトが終わって
地元のヨドバシカメラにある時計売り場に買いに。


時計といえば、誰にとっても大きな買い物ですが
とにかく すぐ 買わなきゃいけなかったのと、お金もあまり無かったので
3000円くらいの安いものにしようと思ってみて見る。
薄いプラスチックケースに入った時計が並ぶ時計売り場には
キティーたんだとかミッキーたんだとかプーたんだとか
そういうものばかり。
3000円くらいじゃ、期待もできないので
本当になんでもいいやと思ってたんですけど
一通り見てみると、綺麗な文字盤の時計シリーズがあったので
そのシリーズで3種類展開されていたうちの1つを
15分くらい真剣に悩んで1500円で買いました。


そしたら、その次の週に家に泊まりに来た友達が
腕から外し、机に置いてあった私の時計を私に見せて
「これ、いくらでしょう?」
と聞いてくるので
「何を自分のもののように。
それあたしの時計だからあたしが知ってるに決まってるじゃない」
と答えると
「え?俺のだよ」
と言うので
二人で「????」
となっていると
私の時計だと思っていたそれは彼の時計で、
私のと同じシリーズだと言う事が判明。
鞄の中に私の時計はありました。


それは私が悩んだ3つのうちの1つで、
奇しくも、
ほぼ時を同じくして腕時計が壊れた彼が
全く違う場所で買ったものだと言うのです。




右が私ので、左がその彼の。
私のは日にちがついているので1500円で
友達のは日付がついていないので1000円で購入。


シンプルで、超安くて、しかも文字盤のデザインが綺麗
ということで、まったく同じ理由で買っていたのでした。



それが、話はここで終わらない。



ネシアに来て、いつものように研究室に入り浸っていると
ラディットが
私の悩んだ3つのうちの1つで
日本の友達がつけていたのとはまた別の時計をつけていたんです。
しかも、これまたほぼ日を同じくして買っていたという。



でもこちらは輸入しているためか
価格は上がって日本円で3000円ほど。
ネットで購入したそう。


3人とも、この3つうちのどれにしようかを
同じ時に
全く違う場所で
各々別々のデザインのものを買っていたのが
面白い。



プロダクトデザインを卒業している3人で
3人とも 金がない ので(笑)
考える事は一緒っていうことなんですかね。
なんか笑っちゃいました。


ネシアにはできるだけ高価なものは持ってこないようにしているので
このくらいの値段だと、気兼ねなく使えてありがたいです。

でもちょっと、
仲良しペアルックカップルみたいで
恥ずかしかったりもします。笑




2014年9月17日水曜日

日本米


それなりに文字を書いているにも関わらず
全然記事がアップできない。

それは、1つの記事が他のいくつかの記事を
内包していたり、強くかかわり合っていたりするからです。
そこに上下関係や順序があればいいのだけれど
そうではなくて、意味を含む形で存在しているので
どこで、1つの記事としていいのかが
分からないのです。

それでも無理矢理に1つの記事にしようとするので
なんだかよく分からないものになってしまう。


そうこうしている間に
新しいものが発生してくるので
なんだかもう、ぐちゃぐちゃなのです。


でも、それは、
たぶん
色々分かって来たからだと思うのです。
今までは別のものだと思っていたのに
そうではなくて
全部が全部、それぞれの意味を含んでいたんだ。
と知るようになったからなのかもしれません。

そういう風に
色んな事に気づいてきたのだと思っています。




というわけで、
ブログが全然書けない状態を打破するために
なんでもない記事を書こうと思います。

ネシアは食堂や屋台で炊いた白米を安く売っているので、
滞在し始めて暫くは、炊飯器いらないかもな。
と思っていたのですが4ヶ月くらいで結局購入しました。
ですが、自分で炊くメリットがあまりないので
そこまでフルに活用していたというわけではないんですよね。

でも今回、初めて日本米を買ってみました。
宮城県産ささにしき。2.5kgでRp.98.000,(約1000円)
私の印象としては結構安い。という感じだったのですが
ネシアの米に比べたら4、5倍の値段といったところでしょう。

ただ、ネシアの米は粘り気が全くなくおなかにたまらないので
お茶碗3倍くらいの量を普通食べる事を考えれば
そんなに割高ではないかな。と思うのです。

毎日自炊をするわけではないので
1kと迷ったのですが
2,5kgを購入。

お米を炊く前に、お米を洗うのはもちろんなのですが
ネシアのお水は飲めないので、やはりミネラルウォーターを使う事になります。
でも、そうするとお米を洗うだけで水の消費量が結構なことになってしまう。
ミネラルウォーターはもちろん買っているので、できるだけ消費は抑えたい。

ということで、お米はゴミを軽く取り除くだけにしてほとんど洗わずに食べる事にしました。
味は落ちるのでしょうが、栄養価はむしろ高くなるので
これでやっていこうと思っています。

外国で食べる日本米の美味さといったら
この上ない美味さなのです。

そして、今回の一時帰国で買って持ってこようと思っていた雑穀米。
実は、運良く質のいい雑穀米がタダで手に入りました。

なんか色々入ってる。

前回の滞在で、電子手帳や眼鏡が盗難にあったので、
それの保険金請求をした時にアンケートがついていたので
そのアンケートに答えたところ
渡航の1週間程前に、保険会社からギフトカタログが届きました。
アンケートに答えた人から何人かが当たるというあれです。

中に乗っている商品が中々に立派なものなので、金額をしらべてみると
なんと5700円分!


ホテルでの食事券だとか
普段手が出せない高級なお紅茶だとか
築地のお魚だとか、
美味しそうな高級ケーキだとか
魅力的な食べ物が沢山載っていたのですが
ネシアに持って来ることを考えると
自分が食べたいものはもちろんですが、まず前提に

軽くて、常温保存出来て、小分けパックされていて、長期保存がきくもの

の条件を満たしていたい。


というわけで、私は上の条件を全て備えている
北海道産の有機雑穀米0.8キロ
を選びました。
0.8キロで5,600円というのはそうとうな高級品であります。

こいつを
新しく買ったささにしきにまぜまぜして
もぐもぐ食べています。


甘くて美味い。


当然電子レンジとかトースターなんていうハイテク機器は
私の家には無い(というかそんなものがある家を、数カ所しか見た事無い)ので
お米は余ったら冷蔵庫に保存して
次の日に、お茶漬けかチャーハンの2択になる運命です。
冷凍飯を電子レンジを使わずにガスだけで
改めて調理できるような料理知っていたらどなたか教えて下さい。


2014年9月10日水曜日

色々ありますとも

今週来週はしばらく忙しくなるのと
まだ家にインターネットが開通していないので
更新は遅くなりますが、書きたいことは、
しつこいようですが山ほどあるのです。

時間も山ほどあるのでしょうが
私には、その山ほどの時間を費やさないと
色んな事についていけないのが現状なので
こういうのは慣れ、そして学習することによって
どんどんと時間を作れるようになるのでしょう。

それでも、
少しでもいいから文章を書きたいと思うのは
なんでなんでしょうね。

書きたい事を忘れないうちに
さわりだけ全部書いておいてフォルダに保存しています。





書きたい事もそうですが、報告しなければならないことも沢山あるのです。


でも、とりあえず
自分に「危機感」という意識が無さすぎるということを再認識した最近です。
私に足りないものは沢山ありますが
危機感がとにかく無さすぎるのです。

でも、危機感がないので「危機感が無い事に危機感を覚えていない」のです。
ただ「ああ、私には危機感が足りないんだな」という事実を思うだけです。


色々起こっていますが
私はゆっくり生きています。

2014年9月5日金曜日

わかったこと

何から書けばいいのか分からない。
日本で起きた事、ネシアで起こってる事
めちゃくちゃ書く事がいっぱいあって
とりあえず、思いついた事全部、触りだけ書いて貯めておいている。

でも一番書きたいことは
今日、 分かった事。


ずーーっと自分にとっての課題だったのが
何故、インドネシアの大学院に来たのか?
ということへの答えを出す事。
日本人にも現地人にもとにかく色んな人に聞かれるこの質問。


お世話になっている人たちに怒られると思うので今まで言わなかったが
はっきりとした理由なしに、インドネシアの大学院に決めた。
それでも、何故なのか?ということを発言しなければならない機会は沢山あったので
その度になんとなくそれっぽいことを答えていた。
・留学したかったけど、アメリカ・ヨーロッパに私費留学できる金が無かった
・海外に行くなら日本人の居ない所に行けといわれた
・ワークショップをネシアでやっていたことで、既に人脈があったから来やすかった
・ネシアにもう一度遊びに来たいと思っていて、ワーホリを探したけど無かった
・どうせ行くなら大学に行っとけと言われた
・物価が安いから来やすかった

そうした今まで答えていたものは
そうなるまでの理由の一つであることは間違いないんだけど
だからといって、それが確固たる理由かと言われればそうではなくて
でも、行くべきだ。と強く感じていたのも事実で

ハッキリとした理由は最初はなくて
ここにきて、それがちゃんと ” あるんだ ” ということはわかってきたけど
それがなんなのかは言葉にはできない
という感じだった。


それでも、結局ここまで来て
大学に入学するということにまでなって
去年は結局入学しなかったので単位が貰えない1年間プログラムで勉強していたのだけれど
そうやって、ネシアで生活して、勉強しながら
やはり、ネシアでの生活は私の人生に必要なものだった
という事を感じていた。
来て良かった!
という感じではなくて
やはり、来たことは正しかった。
という感じ。
ツラい事のほうが多い。

それが、2度の帰国を経て、またネシアに戻って来て
今日やっと、
やっと言葉になった気がする。


なぜ、ネシアなのか。


それは、
ネシアの地で私が、
教える事は簡単だけど、学ぶ事はすごく難しい
という事なんじゃないだろうか。
と、今日、突然に、自然と、言葉になった。


私に限らず、日本人が、この地で教えられる事は腐る程ある。
日本の義務教育を受けていれば、日本で最低限の教育を身に付けていれば
それはもう星の数程ある。
大学を卒業していればなおさら、それを金にすることもできる。
仕事を手にすることも簡単だ。

そして、言葉が話せなくても
文化を知らなくても
相手をリスペクトしていなくても
「教える」事というのはみんなある程度出来ると思うんです。


でも、
この地で学ぼうすることはかなり難しい。

それが、
今まで私が言葉にできなかったものなんじゃないかと思う。


私の通うITB大学は、インドネシアの中でTOP2といわれている大学で
そこで勉強する人たちは皆お金持ちで、頭もいい。
でも、大学の授業はとてつもなく稚拙な内容で、
日本の大学には遠く及ばない。
学生の提出する作品も、内容もクオリティもぐっと質が低い。
ただ、個々が頭がいいので、
その中で学び取る力はものすごい強いし、どん欲であると思う。

日本人として生まれ、育ち、日本の教育しか受けていない私が
この地の大学で、同じように学び取るということが今、とても難しく感じている。
本当に学ぶものがあるのか、
何を学ぶのか、
どうやって学ぶのか。
そもそも、自分が、彼らから学びたい。と思えているのかどうか。


私の研究分野は「初等教育における図画工作」なのだけれど
日本で、教職の授業を受けていたときはこんなこと、一度も疑問に思わなかった。
教える・学ぶ に一番近い分野にいるはずなのに。
どうして、
「いかにして教えるか」
ではなく
「いかにして、 ” 学び方 ” を教えてあげられるか」
と、考えてみなかったんだろう。


私は、中学・高校の美術教諭免許一種を持っていて
それのために勉強もしたし、介護実習も行ったし、教育実習もして
そこで学んだことはとても大きかった。
でも、そういう今まで培ってきたスキルや人脈は
この地で一回すべてぶっ壊れる。
あたしが今まで学んできた事はなんだったんだ!
となる。
根本が一度ぶっ壊れるのだ。
ぶっ壊れて、そして
本当に考えなくてはいけないのは、どうやって学ぶか
なんじゃないだろうか
と、今、思う。


「学ぶ」ことは、
「教える」ことよりもずっとずっと難しいことだと
やっと
やっと
分かったように思います。


この土地で、日本人が何かを学ぶ事は難しい。
だからこそ、
そこで得られたものは確実に「強さ」になると思うんです。



今のところであって、後々まだ分かりませんけど
今のところ、私が何故インドネシアに留学しに来たかという理由は
それなのです。

学びとる力。



2014年9月3日水曜日

パンダの結婚式 その3

誓いの儀式について

名前だとか、意味だとか
私が説明できるようなことはほとんどないのですが
誓いの儀式、Akad Pernikahanについて、
私が見たままのものをそのままお伝えします。


AM 8:00
この時点で100人くらいでしょうか。

結婚式は通りすがりの人でも誰でも参加できるのがネシアでは一般的なので
入れ替わり立ち代わりで相当な人数の人が来ます。
今回は1000人以上は参加したんじゃないでしょうか。

Akad Pernikahanを見るために既に人が集まっています。
新婦を除く、新郎新婦の両親なども既に椅子に座っています。

新郎のパンダが誓いをするための机に向かいます。
真っ白の衣装に身を包んだ正装のパンダは
いつも知ってるような彼ではなくて、
なんとなく似合っていないような
ちょっと背伸びしている感じがして
そこがまた、結婚式というハレの日を強調するようで
私も他人ながら緊張してしまいました。

新婦のララが登場。
ものすごい豪華でびっくりしました。
後で知る事なのですが、頭にかぶっている冠や
式の形式は、Palembang パレンバン という地方のものだそうです。
結婚式は基本的に新婦側が仕切るものなので
結婚式のスタイルは、パレンバン仕様なんだそう。

目の前に座っている黒い服の人は
新婦、ララのお父様。
他にも、結婚を認めるため、ジャッジメントをする人などが
そこに集います。

そして、お祈りが始まります。

そして、いよいよ誓いの儀式。

新郎側から新婦側にお祝いの品を送ります。
式前に、一緒に買いにいって一緒に決める事が多いそうですね。
お祝いの品といっても、
普通はお化粧品だとか、ハンドバックとかバラバラと色々あって
総額としては日本円で1、2万というところじゃないでしょうか。
ララのはネックレスみたいですね。
高そう!

パパが、新郎新婦に
激励のスピーチを述べたあと
パンダへの問答が始まります。
ほとんど聞き取れなかったのですが

・あなたは誰を妻としますか?
・妻の名前は何ですか?
・誰に誓いますか?

など、結構な量の質問をされ、それに答えなくてはならないのですが…
パンダは緊張してるのか、間違えまくり!!(笑)
苦笑しながら「な、なんだっけ?」というパンダに
会場もさすがに笑うしかありません。


それでもなんとか数分にわたって行われた問答も終わり
パンダが誓いの言葉をのべます。

そして指輪の交換。

注目すべきは左手では無く、右手であること。
たしか、左手が婚約で、右手が結婚だったと思います。

いい笑顔です。

そして、謎の小冊子が二人に送られます。

最初私は、パスポートか?と思いましたが、
どうやらこれは結婚したという証拠であるID。
日本人は特定のIDを持たないので、あまりピンとこないかもしれませんが
インドネシアは必ず全員IDを持ちます。
そして、このIDは、結婚しましたよ。という、
法的に夫婦として認められた二人のIDになるのです。
それが、発行されたわけです。

こうして無事に
二人は夫婦になりました。


そして、両親への感謝の儀式が始まります。
今でもこの写真を見ると、私は目がうるうるしてきてしまいます。

両親は椅子に座り、
新郎新婦は床に跪き
両親の手を包み込みながら、頭を乗せて感謝します。
母と父は娘、息子の頭を撫でて
旅立つ二人を労います。

お母さんへの感謝よりも
お父さんへの感謝のほうが
涙を誘うんですよね。
ママは二人とも涙、涙です。

パンダは、お父さんの事をすごく尊敬しているくせに
お父さんの前ではあまり口を聞かなくて、話もほとんどしないのですが
この時はお父さんの手をぎゅっと握って、深く、深く感謝しているのが私にも伝わり
とても泣けてきてしまいました。
Akad Pernikahan素晴らしかったです。
二人には、是非幸せになって欲しいです。
Selamat Menumpuh Hidup Baru!

でもね、
話はそんな綺麗に終わらない!

そこが、インドネシア!
私は、この儀式に見入られてしまって、集中して見ていたので
まったく耳に入ってきていなかったのですが
司会を勤める二人の男が、
ずっとなにか言ってることに、
やっと!気づいたのです。


「ああ、お母さん!今まで育ててくれてありがとう!
ああ!!僕はあなたのおかげでここまで来る事ができました!」

みたいなことを、いかにも悲しそうに
いかにも泣きはらしたような声を作りながら(真顔で)
パンダとララの" 心の声 "のようなものをずっと演じていたのです。


これに台本があるのか
それともパンダとララが事前に作ったものなのかは知りませんが
いかにも作っている声色で
まるで舞台俳優のように演じるので
それに気づいてからは、
私は別にハムレットの舞台を見に来た訳じゃないので
なんだか涙がひっこみました。


「ああ、おかあさま! 僕はどうしてこんなにも罪深いのでしょう!」
(そんなこと言ってないけど)


そんなわけで、私の見たAkad Pernikahanはこれにて終わり。

Pernikahanはもっとシンプルで
新郎新婦が入場して、
新婦の伝統的なダンスがあり
あとは参列者と握手をして
歌を歌ったり、スピーチがあったりという具合。


左から
パンダの妹のハナちゃん、お母さん
パンダ、ララ
ハキム氏、そして弟君。

パンダの結婚式報告、以上です!
ふたりとも、おめでとう!!!!


ミアとキジンと
生後5ヶ月のダントラ。
二人みたいに素敵な夫婦になって欲しいです。

3年ぶりです

ご無沙汰しております、Kuroです。 アーカイブとしてしか機能していないこのサイトですが、 それでもある程度の方が見てくださっているようで有難い限りです。 インドネシア在住時の2年半の間は、ほぼ毎日更新しておりましたが 日本での暮らしに忙殺されて、 書こう書こうと...