2014年1月21日火曜日

写真を撮る人

ネシア人は、自分たちの写真を撮るのが本当に大好き。
スーパーナルシスト。

もーーどこでもとにかく撮ってる。

日本人も結構撮るとは思うのだが
インドネシア人っていうのは、すっごいポーズ決めて撮るのが特徴的。
こっちが見てて恥ずかしくなるくらい
自分のポーズを皆が皆持ってる。
そして全然格好ついてない。
なんか全体的に古い。


いや、いいのだけど。
日本のプリクラ文化も言ってみれば同じようなものなんだが
公の場でこれをするのと、箱の中でするのとでは
やはり違うもの。

こっちが見たくなくてもどうしても視界に入るから。


私がイラついてるのは
観光地でこれをやられること。
もう本当に、ボロブドゥールに行った時は目に余る物がありました。


場所に着くなり写真を撮って
それを見ながらあるいて、
良い場所があったらまたそこで撮って、歩く。
その繰り返し。

つまり、ボロブドゥール見てない。

「見てないなら帰ってくれよ!泣」
と、叫びたい。

自分を写真撮るだけに来たようなもんで
あとは、その辺でぼ〜っとしながら撮った写真を加工したり
そのままアップロードしたりして
それが終わると帰るのだ。

写真の楽しみ方はひとそれぞれだから
私があーだこーだ言える事ではないのだけれど
あまりにもあちこちで撮っていて、
その度に遮らないように待ってあげなくてはいけないのだ。
それが本当に嫌。
しかも大抵長い。
観光なり、鑑賞なりの邪魔を本当にコンスタントにされるので
マジでムカつくのである。
写真をとって
歩きながら鑑賞
また写真を撮る。

「 マ ジ で 帰 れ !!」

と、心が狭いので
だんだんとイライラしてきてどーしようもなくなるので
最近は、イライラしなくなるいい手はないかなと探っていたところ
写真を撮ってる人をさらに撮る事で
このイライラを沈めようと頑張っている。

どうせ待たなくちゃいけなくて
なんか変なポージングを見てないといけないなら
その時間にうちも撮ってやろうということなのです。


あれです、
昔日本人が
写真を撮られると魂が抜ける
って信じていたのと同じように
写真を撮る事で、
このイライラを写真に封印しようという計画なのです。

これがなかなか効いている。


アメリカ行くと、美術館でよく見るのが
作品のキャプション(作品について説明してある短い文章)ばかりを見ていて
作品全然見てない人ばっかり。
キャプションを1分かけて読んで、
作品は5秒しか見ない人が多い。
「作品見ろよ!泣」

と思うが、
これも個人の自由なので私がどーこーいえることではないが
心の中ではそう思っている。
これは鑑賞の邪魔になってるわけじゃないから別にいいのだけど。


ネシア人は共有するのが大好きで
そこに行って、その場の空気とか、本物を見ることに
価値観を置いてないような気がする。
そこに行ったよっていう、証拠・記録としての写真を
共有するためだけに撮る。

動物園に行っても、しょっぱなからレンズを通してしか動物を見てないし
写真撮り終わったら次の動物に行く。
そういうのが、どうしてもイラついてしまうのです。

・・・いいんだけどさ!!(怒)
写真を撮るのが趣味な人は別にいいんだけど
あまりも大多数がそうだから、目に余るんだよ!!ぐっ

写真撮ってるせいで近くで見たい物が見れない時だけは
本当に腹たつ!!

キノコ専門レストランに行ったとき
行列を作って皆キノコと写真撮ってた。
私はキノコが見たいのに、写真に写っちゃうから
間近で見れないのだ。

・・・その家族写真、意味あるの!?

ムカー!!

2 件のコメント:

株の初心者 さんのコメント...

とても魅力的な記事でした。
また遊びに来ます!!

Kuro さんのコメント...

コメントありがとうございます!
是非、また覗きにいらしてください!

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