2015年3月31日火曜日

ご報告


ずいぶんとご報告が遅れてしまいました。
手続きやら、やらなければならないことやらが終わりましたので
ご報告させていただきます。

乱筆で失礼します!



2015年3月30日月曜日

くつ


どこかのデータで
服の清潔さと経済成長は比例する
というのを読みました。

それを読んだ時
経済が発展すれば、家に洗濯機が導入されたり
新しい服を購入することが出来たりするわけだから当たり前じゃね
って思ったんですけど、
そうじゃないんですよね。きっと。

単純に、
経済が発展することによって
”自然・Nature”との距離が離れるということだと思うんですよね。


バンドンでは
まだ洗濯機が無い家庭の方が圧倒的に多いです。
洗濯機どころか、
日本の50年代における三種の神器
テレビ(当時は白黒ですが)・洗濯機・冷蔵庫
この三種全部が揃っている家庭というのはまだお目にかかった事がありません。
GDPで見れば、インドネシア2013年時点で1977~1978年の時の日本と同レベルなんですけど。

ネシアの我が家には、共有の冷蔵庫とテレビ(アンテナを立てるブラウン管のテレビで、ほとんどの番組で砂嵐が起きてる)はありますが
洗濯機はないので、自分で洗うか、洗濯屋さんにお願いします。
ネシアでは、洗濯屋さんに出すのはとても一般的な行為で
超貧困層=自分で洗濯
貧困層=洗濯屋さんに出す
一般階級=洗濯屋さんに出す・二層式洗濯機を所有
富裕層=洗濯機を所有・お手伝いさんが家で洗ってくれる
が普通だと思います。
私は時間がある時は自分で洗いますね。洗濯屋に頼むと大事な服が傷むので。


なぜ、経済が発展すると服が清潔になるか。
それは「自然」と離れて行くからだと言いましたが、
バンドンではまだこの「自然」というものが非常に残っていて
(とはいえ、緑いっぱいで景観が美しいところというわけでもなく、整備されていないという意味で)
そして、皆の服は清潔からはほど遠いです。


服は何日も続けて着るし、
臭くて着れなくなってきたら裏返しにしてさらに着つづけるので
もうあちこちホツれまくってるわで大変です。
でも、毎日意識して清潔に保とうとすることを諦める気持ちも今はよく分かります。
それだけ大気汚染や整備されていない道路、スコール等の自然現象によって
一瞬にして汚れたり、ダメになったりするからです。


それでも私は一回袖を通したら絶対に洗濯しますが
そうもいかないのが 靴。
日本で靴が汚れることってまずないのですが
こっちにいると一瞬で汚れるのです。
一時期は毎週靴を洗っていたので靴が速攻で傷み
日本で買った大事な靴を何足もダメにしました。
一日歩けばもうどろどろ!

何度かの日本への一時帰国を経て、
お気に入りの靴を何足もダメにした経験を踏まえて
靴はワンシーズンくらいで使い捨てようと思ってホームセンターで買った安い靴をはいたりと
こちらで生活する上で、可能な限り清潔に出来るベストチョイスを求めて
今は「水・汚れにやや耐性のあるスニーカー」で落ち着いています。


いまのところ、いい感じです。

2015年3月29日日曜日

take, drink, eat.



インドネシアは西洋医学の知識がもうそれはそれは低い上、
インドネシア医学のようなもの、民間療法的なものも
私から見ればMythosでしかないように思えるものばかりです。

それに加えて薬が「医薬品としての薬」と「体にいいもの」のふたつが
この地でごっちゃになっていることに、なんだかイライラしてしまうのです。

なんかもうすぐイライラしちゃいます

そうした薬への意識の違いというのさえも
私は言語から読み取る事ができるのではないかな、と思うのです。


日本だと
薬は 飲む ものですよね。
「薬飲んだ?」「ちゃんと薬飲まないとだめよ」なんていいますよね。


英語だと Medicine は、 take するものです。
液体の薬でも、錠剤や粉薬でも
“take a medicine”です。
この場合の take は、摂取する、服用するということになると思います。


インドネシア語だと、Obat(薬) は Makan(食べる) ものなのです。
“Sudah makan obat?”(直訳=もう薬食べた?)
“Minum obat”(=薬を飲む)と言っても通じますが
私が日常的に友達の耳から聞くのは、薬は”Makan”(食べる)が使われます。

日本語  飲む
英語   摂取する
ネシア語 食べる

こういう違いがあります。

英語が、
西洋医学が生まれた中で
Medicineに対して、eatでもdrinkでもなく take を使うようになったことは
なんとなくその背景が想像できるような気がします。
ご飯を食べるでも、飲み物を飲むでもなく、薬を服用する

日本が薬を 飲む ことにフォーカスするようになったのかは
粉薬の流れなのかもしれませんが
実際のところ私には分かりませんし
インドネシアが薬を 食べる こととしたことも
ここに、「薬のあり方」「薬のポジショニング」が見えるような気がしているのです。




いつものように話が逸れますが
昭和初期の小説を読んでいると、
「煙草を呑(飲)む」
という表現が出てきます。
現代では廃れてしまったこの「呑む」言葉。
煙草を吸う行為ソレ自体に変化はないと思うのですが、そこに受動する私たちに何か変化があったのでしょうか。

インドネシアでは「rokok(煙草)」に "+me" をつけて動名詞にすると
「merokok(煙草を吸う)」という言葉にすることができますし、とても一般的な言葉ですが
「minum rokok(煙草を呑む)」という表現もまだ頻繁に使用されています。

調べてみた所、英語では drink a cigarette と言っていたという事はなさそうなのですが
どうやらヒンドゥ語では सिगरेट पी रहा हूँ といって、drink a cigarette の意味になるそうです。
煙管と紙巻きの違いなのかなぁ?


そういえば「一服する」の「一服」は
煙草にも薬にも使われていますね。


分からないけど、こういうのって全部繋がってるんだろうな。

2015年3月28日土曜日

|ヤディ家


Ayakanを購入したヤディ家を引き続き。

Yadi家は不思議がいっぱいです。

Yadi家の台所には電気が通っていないので
真っ暗で実際にはほとんど見えなかったのですが
スローシャッターでなんとか押さえました。

鍋のフタは洗面器!?

 最初に台所に入ってまずビビったこの鉄の鍋の上に置かれた洗面器。
「えええーーー!ドロドロに溶けるでしょ!」
と思い、洗面器をコンコンしてみると
どうやらホーロー製のようでした。
たぶんこの洗面器で魚を洗い、そして揚げてる最中はフタとして機能させているのだと思います。


お母さんが料理をしてくれている間、
お父さんはこんなものを見せてくれました。

1980年代初頭にコピーされた竹製品の注文票です。

とても丁寧に保管されていて驚きました。

現在よりも値段のマルが1つ以上違います。
” 3set Rp.2750(約27円) "

単品は6円ほど。

当時、電話注文に対応するために使用されたものらしく
コピーの写真は鮮明とはいえませんが
それぞれに対応した番号と値段、色などが書かれています。
当時の竹製品の需要の高さが伺えますね。


村で3部コピーしたけれど、今もまだ持っているのは恐らくヤディ・パパだけだということです。


そして、
私が使い古されたAyakanに興味を示した事で、
パパが古い品を見せてくれました。

日本でもそうですが
昔の人は仕事が綺麗ですよね。

使われていなくてだいぶホコリまみれですが、
食べ物を虫から守るためのカゴ。


かなり年期は言っていますが
仕事が本当に綺麗です。

こちらはブラックバンブー(黒竹)を使用していて
黒竹の皮の部分(黒)と中身の部分(茶色)を交互に使用した美しい造形です。
黒竹を未だに生で見た事がないのですが
黒竹は皮だけが黒くて、中は普通の色だということを初めて知りました。


この他にも、北欧の大手家具メーカーからの受注票など大変興味深い品々も見せて頂いたのですが
迷惑がかかるといけないので、こっそり閉まっておく事にします。


Yadiさんの家がある村は
村の全ての家で竹製品を作ることを生業としています。
(現在は一部プラスチックも受注しています)
注文は個人にくる場合もありますが、基本的には村全体に大量の注文がくる状態になるので
「仕事がない」村人は発生しないのだそう。

この村では朝から晩まで
そして女性もお年寄りも、みーんな働いているのです。

Ayakanを作るおばあちゃん。

インドネシアでは寿命が短い事もあり
富裕層以外で元気なお年寄りを見かける事があまりないのですが
この村ではみんな忙しいながらも元気な姿をよく見かけました。


2015年3月27日金曜日

|アヤカン購入


タシクの話に戻ります。

タシクでは基本的にはずっとムムスさんのお宅に居たのでほとんど外出もせず
行った所といえば、他の職人さんの家と、知らない人の結婚式くらいで。
もうインドネシアの結婚式、10回くらいは出席してるのかなぁ。

外出しないし、ご飯はお世話になるし、果物は庭に生えてるわで
全然お金を使わなかったのですが、
唯一した買い物がこれです。

Ayakan(アヤカン)


どちらも竹で作られたカゴです。

白い2つの小さいものはトトさんのアトリエで買ったもので
黒くて大きいのはヤディさんのご両親の家で使われていたものです。

小さいものも美しいのですが
黒いのがちょっと面白いのです。



直径60cmくらいのAyakanと呼ばれるもので
この大きさのAyakanは本来魚を取る時に使うものだそう。
ヤディさんのご両親の家では日用品として2つ使われていて、
野菜を置いておくザルとして、そして洗ったお皿を乾かすため等に使われたりしていました。

Yadiさんのご両親の家の
仕事場 兼
食事する場所 兼
台所 兼
荷物置き場
です。


野菜置き場として使われています。

この家ではまだかまどで調理をしているのですが
かまどの上に竹製品などを置いておく事で薫製されます。
このAyakanが黒くなっているのは燻されているからです。
煙と熱で加工することを専門用語で燻煙熱処理と呼ぶのだと、この前ある方に教えて頂きました。

これは6ヶ月ほどかまどの上に置いておいたものだそうで、固く、丈夫です。
スモークベーコンのようないい匂いがします。

かまどからでる煤で壁が真っ黒です。

そんなかまどの上にこうして竹が干されています。
(下から見上げた様子)

(正面から)

燻煙熱処理
といっても
これはおそらく他の竹製品と同様
通常の行程を経て仕上げた後にニスを塗っているハズで、その上から燻製されているものだと思うので
中まで「燻製」されてるわけではないのでしょうが
その色と、匂いと形の美しさに魅了されてしまい
実際に使用しているところを無理を言って譲ってもらいました。



縁取っている太い木はココナツの木です。

私が買ったばかりの時は魚の鱗などがあらゆる所についていたりと
かなり生活感溢れる状態でしたが、この使い込まれた美しさ。
インドネシアに移り住んでから久しぶりに「美しい!」と心の底から思いました。


この燻製処理された竹製品はタシクのどこにも売っていないとのことですし
私も実際にこうした製品を見かけた事はありませんでした。
でも、この田舎で、未だにかまどを使用してご飯を作っている素朴な生活の中でのごくごく当たり前の行為の中で
先人の知恵として作られ、使用され、商売にするわけでもなくそこに在る。
そうしたことが美しいと思えたのかもしれません。


このAyakanは元々(燻されていない新品の状態で)日本円にして100円程で購入したものらしく
譲って欲しいとお願いした時に、値段が付けられないと言われたので
今まで日用品として使用してきたものを無理言って譲って頂いたこともあって
500円払いました。
後にムムス家に戻り
「クロが煤けたAyakanに500円も払った(=高すぎる)」
「何だって!?」
というゴシップが
何日もの間、親戚中でひそひそと話題になったのは言うまでもありません。



決して裕福な生活をしているワケではないYadiさんのご両親に
「燻製処理した竹製品、絶対売った方がいいよ!」
と余計なお世話で力説してみたものの、
タシクに住んでいる人は誰も黒く煤けた製品なんか欲しがらないということで
誰も理解してくれませんでした。

かまども家から無くなってきているそうですし
こうした「生活用品」が無くなっていくのも時間の問題でしょう。




ところで
このAyakanを買ったあと、職人さんのご好意で私が見ていない間にこの上からニスを塗られてしまったので匂いは完全に無くなってしまいました……残念
使って行くうちにまたニスもはげてきて匂いが出てくるといいなと思います。



日本に持って帰るつもりですが、直径60cm以上もあるAyakan……
何に使うかはまだ決めていません。

2015年3月26日木曜日

おっぱい



ネシア滞在も刻一刻と短くなってきているので
今までよりもボリューム落として出来るだけ毎日更新しますよ。
どうぞよろしくです。



ネシア人はみんなガリガリに細いです。
現在の日本は戦時中よりも細いというデータが発表されましたが
ネシア人はまだ貧しい国であるが故に細い。というのが実態。

大学を卒業して自分でお金を稼ぎ始めると同時に男も女もあり得ない勢いでアメリカ人のごとく太り始めます。
特に女性の太り方は顕著です。

なので細い盛は大学まで。というのが一般的なネシア人ですが
それでも女子のおっぱいがデカイのは不思議でなりません。
皆ほっそいのにおっぱいがでっかい。
なんかタプンタプンしてる。

日本人は細さとほぼ比例しておっぱいも小さいですが
ネシア人はほそくてでっかいんだからまぁうらやましいです。
でも、明らかに糖分と油分とタンパク質の取りすぎな食文化なので
細さを維持できているのは明らかに若さと食の量であって
年をとってきて、金も入るようになって食べる量も増えれば
皆ごくごく自然に太り始めるので、ネシア人と同じ食べ方をすれば乳はでかくなるかもしれないが、同時に色々でかくなるのは見えているので私はやりません。


この前、薬局にいって化粧水を買ったら
キャンペーンか何かをやっていたらしく、2000円以上の購入でプレゼントということで
おっぱいがでかくなるジェルをくれました。





なぜ店に金を落としてあげてるのにこんな辱めを受けなければならないのだ……
と内心腑に落ちない恥ずかしさを感じながら
「普通に買ったら750円しますからね。750円ていったら結構な額ですからね。使ってみて下さいね。」
という説明を聞きながら「どうでもいいけど高けーよ」と思いつつ、もらいました。

おっぱいが30秒でつるつるになる!
としか書いてないのに、
マッサージしておっぱいをでかくする。と店員は大口叩いていました。


もうパッケージがものすごく恥ずかしいです。


もったいないので使いましたが乳はでかくなりません。
つるつるにもなっていません。
別にいいんです。
期待してません。

2015年3月25日水曜日

Siriちゃん


タシクネタお休みして、言語の話。


インドネシアは高校の段階で、第三外国語としてドイツ語か日本語が必修となっています。
日本は植民地化の影響もあってまだ分かりますが、ドイツは何故なんでしょ。

ドイツ語と日本語では、日本語を取る学生の方が多いそうで
日本語をほんのちょっぴり知ってるインドネシア人はたくさん居ます。
もちろんそこから大学に入り、綺麗さっぱり忘れている子がほとんどですが
その中の一握り、ハッキリ言ってしまうと日本フリークはちゃんとそこから日本語を勉強するんですよね。

なので、簡単な日本語を喋れる人っていうのはそう珍しいものではありません。


ついこの間も「友達の知り合い」と挨拶して、知り合ってものの10分で
「うちの娘が日本語を勉強してるから話してやってくれないか」
といって、電話を繋がれました。
(過去にもう何十回とこういう経験をしています)


やはり言語というのは特性があるので
インドネシアならインドネシア人っぽい独特の訛り方やイントネーションがあるので
それに引っ張られるためとても似かよります。
例えば日本語を話そうとするインドネシア人には「し」の発音が難しいので「すぃ」となってしまったり。ということです。

私はそういった「日本語をちょっとだけ話せるネシア人」というものの特徴イメージができているので
それをイメージしながらその娘さん、高校生の女の子からの電話に出たのですが
すっごいびっくりしました。

喋り方がめっちゃくちゃ気持ち悪いんです。

声を聞いてマジでゾゾゾッとしました。


なにが気持ち悪いのかというと、
AppleのiOS向けアプリ “Siri” みたいな話し方するんですよ。


先ほどいった
ネシア人が話す日本語というのは
私にとっていくつかのパターンがあります。

それは、
本で勉強したか、 アニメで勉強したか、 生の日本語に触れて覚えたか
などというくくりです。
本で勉強した人は、語彙力は大変豊富ですが
アクセントが全くダメです。
日本語なんてアクセントなくね?って思うかもしれませんが、
これは私も外国語をちゃんと覚えるようになってから分かる事でしたが
日本語はものすごくアクセントが重要な言語です。

アクセントが間違っていると、言葉と発音が正しくても全く理解出来ない事の方が圧倒的に多いんですよ。
これは辞書にも発音記号が表示されていないうえ、前後に接続する言葉によって変化するので、会話等の生な会話でひとつづつ覚えないとダメなんです。
英語は、発音さえあっていればアクセントが変でも意外に通じちゃうんですね。
まあいずれにせよ、本で勉強した人っていうのはすぐに分かります。


アニメで勉強した子っていうのは
単純に、意味を誤解してる場合が多いですね。
キャラクターなんかが使っている語尾とか言葉の言い回しを
一般的な日本語の言い回しだと勘違いしているので個人的にはかなり痛々しいかんじに見えます。
でもアニメ派はやはりそのアニメに対する熱があるので上達も早いです。
難点は、アニメ好きはアニメ好きとの交流が多いので
友達の種類に幅がない人が多いので独特の喋り方になります。


生の日本語に触れて覚えた人は、発音云々というよりも言葉を使う「タイミング」を知っています。
あまり言葉数覚えていなくてもコミュニケーションとれるということと、
喋れないけど理解できる。というのも多いんですね。



でも、このSiriタイプは初めてだったので
「きもちわっるっ!」
と思い、どうやって勉強したのか聞いてみると
ケータイの日本語勉強アプリで勉強したらしく、ひどく納得致しました。
とてもじゃないけどアンドロイドのような話し方をする人間と長く会話するのは大変苦痛だったので
Siriちゃんとの会話は早々に親父に電話を返しました。


こういうのは10年前では起こらなかった現象でしょうね。
これからこういうアンドロイド風な話し方をする人たち、増えていくんでしょうね。なんか嫌だな!


2015年3月24日火曜日

|トイレの魚


もうね、1年半も住んでいれば色々な生活を見てきました。
貧困層から日本じゃなかなか無い大富豪のお家まで。
引っ越し2回、合計3カ所住んでみて、最初の頃には知らなかった庶民的な生活空間というのも知るようになりました。

だから、生活空間内で驚くことってもうあんまりないんですけど。

でも、あったんですよ。タシクで。


ネシアの「トイレ」は「お風呂場」であり食器を洗ったりする「台所」でもある、いわゆる「水場」なのですが
初めて使う田舎らしい水場でした。

このコケ感。

外と隔てるものがないので
バンドンの湿った水場よりは清潔感あります。

用を足して、水桶から水を汲んで水を流そうと思った時にぎょっとしました
水場から出て

私「おかーさーん!トイレに魚がいるよ!
母「うん、小さいのでしょ」
私「えっ、いいの?」
母「うん、いいの」

えっ、いいの!?

水溜め場が必ずあります。

そこに小さ魚発見


お母さんのあまりにも「だからなんなの」という感じのあっけらかんとしていたので
私は少し考えました。

田舎なので生活用水を川などから直接引っ張ってきていて
それに小さい魚が紛れ込んでしまった

うん、これに違いない。
そしてネシア人はそういう細かいことは気にしてないので気が向いたら川に返しにいくのだ。
という結論を出してみて、もう一度お母さんにちゃんと聞き直してみたところ
ボウフラを食べさせるために「飼っている」のだそう。
餌まであげているのかどうかは聞き忘れましたが
たぶん微生物とかコケ類で行きて行けるのではないかと。

マンディ(水浴び)している間、シャンプーなどで目をつぶりながらお水を掬う時なんかは
魚ごと掬ってそのまま下水道に流しちゃいやしないかとひやひやしましたが
魚は人が水場にくるとちゃんと端っこに移動して、危機を回避していました。

水桶に石けんを落として閉まった時なんかは
石けん水が混ざって魚が死んじゃったらどうしよう と
またこれもひやひやしたのですが、大丈夫でした。


そして朝起きて水場に用を足しにいったら
普通に猫が寝ていて
なんて平和な場所なんだ。とぼーっと猫を見ていました。


すやすや

2015年3月23日月曜日

|ココナッツジュースの夢


南国で飲むココナッツジュースに夢を抱いている方に言っておきたい事がある。

"ココナッツウォーターはマズい!" ということを。

ココナッツを割って、恋人と2人でストローで仲睦まじく美味しく飲んでいる姿は微笑ましいビジュアルですが
実際のところ、すげぇまずい。

「ココナッツジュース」として屋台やカフェ・レストラン売られているものは砂糖とか色々混ぜてあるから甘くて美味しいのですが
普通のココナッツウォーターは全然美味くないんやで。

ひとつRp 5.000(約50円)でした

すごく繊維質なので、ナイフで面を落としていきます。

形容し難い味ですが、
一言で言えば マズい水 です。


じゃあ、なんでみんなココナッツ売ってんの?と思うでしょうが
普通インドネシア人が好きなのは、ココナッツウォーターではなくて
内側の 果実 なのです。

内側に白いブヨブヨしたものが見えますか?

日本人の多くは、この実の存在を知らなかったりするので
ココナッツを買って飲んで「なんかマズいね?」で終わるのですが
ココナッツの神髄は実の方だといっても過言ではない。
スプーンで内側の柔らかい果実を削ぎ取ります

こういうことは大体子供が率先してやる

ツルン としてて、少しコクもあって美味しいです

今までココナツは何度か食べたり飲んだりしてきましたが
初めてみるココナツがありまして。
ピンクのココナッツです。

写真では分かりにくいですが
手前のココナツはとても小ぶりで、実がピンク色をしています。

このピンクココナッツ、すごくお高い。
普通のココナツが50円なのに対して、このピンクのココナツは300円という
6倍の値段で強気に売っています。




何が違うのかというと、まず中に実がついていないことです。
そして、普通のココナツよりもさらにマズいということ。

ただのマズい水 が めちゃくちゃマズい水
になった感じです。


とはいえもちろん高いものには理由があって
栄養価が抜群に高いということ。
ココナツウォーターはカリウムがたくさんはいっていますが
このピンクのものは物としても貴重だそうです。
あまりにマズいのでネシア人は誰も飲まなかったため私が1人で飲みきりましたが
そのあと体がなんだか軽くなったような、そんな気がしました。
300円もした という呪文にかけられただけかもしれませんが。

まあいずれにせよ、体にはとてもいいらしい。

手前にヒゲがでてるのわかります?

ちなみに、ココナッツからでている ヒゲ は、ココナッツをカチ割る前に
ナイフで切れ目を少し居れて繊維を外に引っぱりだして作ったもので
2つ以上のココナッツを運ぶ時にココナツ同士をこのヒゲを括って持ち運びやすくします。

果物そのものの性質をよく生かした画期的な方法ですね。


2015年3月22日日曜日

|ネシア親父の習性


前からずっと不思議だったのですが
ネシアの親父はよく腹を出しています。

どうやら、暑いと腹を出すみたいなんですよね。


ペロっとめくって腹を出す
私は、暑いならぬぎゃーいいじゃないか
といつも思っています。

腹を出してうろうろ

私 : 「なんでネシアの親父って暑いと腹だすの?」
友 : 「全部脱いだら乳首が見えるし恥ずかしいじゃないか

腹だけ出す方がなんか恥ずかしいと思うんですけど。

ムムス氏は細いからまだいいですが
大抵ネシア人は結婚すると同時にとてつもなく太り始めます。
そんな親父の土手っ腹を醜く晒し出すくらいなら脱いでしまえよと
いつもなんとなく モヤっ とするのです。




2015年3月21日土曜日

|食べる子は育つ


日本で親戚の家に行くと、寿司やらピザやら果物やら名産品やら
やたらめったら食い物が出てきてブクブクに肥やされるのですがそんなことがタシクマラヤでも続きました。


ジョグジャのライの家に行った時も、友達の家にお泊まりするときもそうなのですが
インドネシア人ていうのはとにかく普段のご飯がすっごーーーく少ないのです。
ご飯をしゃもじで4杯くらいよそって、基本的におかずは一品。
私はそれに耐えられず、いつも友達の家に泊まらせてもらうときは
いつもぐーぐーおなかがすいています。

タシクでは毎日おかずがちゃんと4品くらいあって
本当に毎日たらふく頂きました。
バンドンと違い海に近い事もあり、また生け簀が至る所にあることもあって
魚が新鮮で美味しいのです。
それが本当に嬉しかったですね。

ご飯は床置きが普通です。
みんなあぐらを書いて太ももの上に皿を置いて手で食べます。

ご飯の量が少なすぎても悲しいけれど
「どんどん食え!」と勧められるのもなかなか押しに弱い私としては
食わざる終えない毎日でした。
美味しいとはいえ、お米をそう何杯も食べる気にはなれないものの
インドネシアのおかずは基本的に味付けが濃いので単品で食べれるものはとても少なく……

贅沢な悩みですね。

朝ごはん
卵揚げ、テンペの甘煮、揚げ魚
(普通は食パンに怪しいマーガリンを塗るだけの家庭が多い)

お昼ご飯
テンペの甘煮、インゲンとトウモロコシと人参の卵炒め、
ビーフンと厚揚げ炒め、卵焼き、お魚

夕ご飯
インゲンとトウモロコシと人参の卵炒め、テンペの甘煮、魚
クルプック(せんべいのようなご飯のつけあわせ)

インドネシアでは、お米は種類にもよるそうですが
年に2〜3回収穫出来ます。
ちょうど今収穫時期だったので、
村の至る所で稲刈りをしたり、逆に植えたりしていました。




ヤディさんのご両親の家に遊びに行かせてもらった時に
家の前の生け簀で釣りをしてすぐに油で揚げて食べました。
釣りがまあほんと簡単でして。
細い竹に簡易的な輪っかを作り、そこにテグスを通して先に針を付けただけのもので
餌は貝の実を使って釣りをしたのですが
 入 れ 食 い も入れ食いでした。
超初心者の私でさえ簡単に釣れましたよ。


そして、見よ、この皿の上のインパクトを!

The 米 and The 魚!

魚はピラニアの一種だそうで、
なるほど入れ食いなわけだわ……と納得。
美味しかったですが、小骨が多くて食べづらい。



 ピラニアを食した後はこいつも食べました。
こっちの方が実が厚くて美味しかったですね。

食べている間に、お父さんが
父 : 「どんどん食べな!遠慮しなくていいから!」
私 : 「もう(丸々)二匹も食べたんで!大丈夫です。」
父 : 「まだまだたくさんあるから! 君の後ろ(生け簀)にね!


こういう 丸揚げ 系の料理はネシアに来た時は本当に苦手だったのですが
今はもう全然慣れっこで食べれるようになりましたね。
未だに頭とかヒレとかは食べれないんだけど……
食卓は床に敷かれたシートの上には常に果物たち。
シートは私が来てから買ってきてくれたみたいで
実際は床タイルの上でみんな食べます。

ランブータンは常備
写真左はグァバで、右はバナナ。
中心の大きな缶にはクッキーたち。


現在あまり日本では見かけなくなった、ご飯にかぶせる虫除け。
電子レンジなど、再加熱の電化製品が普及すると
見かけなくなるんでしょうね。


2015年3月20日金曜日

|嗚呼、危機感!


ムムスさんの自宅はタシクマラヤのSitu Beetという場所にあって
タシクの中心街からはかなり離れた田舎にあります。

自宅にはたくさんの果物がなっていて
おなかが減ると、ちょうど今が時期のランブータンを取って食べて……と
食べ物は勝手に生えてくるわけで
一年中何かしらの果物にありつけるわけです。

そんな楽園で育ったら
危機感 なんていうものは育たないだろうなぁ
と思わされます。




私が着いたのが朝の8時半で
着いてすぐに親戚やら友達が沢山遊びに来ました。
そしてパパはサルのように木によじ上りランブータンをたくさん収穫。

ランブータンは毛が生えているので地面にどんどん落としても
クッションのように衝撃を吸収するので中身はあまり傷む事なく食べれます。



私はランブータンがあまり好きではなかったので
今までに5個食べたか食べてないかというくらいでしたが
タシクに居た4日間、ランブータンを阿呆ほど食べたので今では好きになりました。

なぜ今まで好きではなかったかというと
味は酸味がなく甘みが強いライチのような感じなのですが
種から実を剥がす時に種の皮(木の薄皮みたいにバリバリしてる)がくっついてきて
それが嫌だったんですよね。


これが繊維質な実と完全にくっついていて取り除くのはとても大変なので
皮ごと食べるのです。

ランブータンを「もうそろそろお腹いっぱい」というまで食べた頃
誰か近所の人がさりげなくJeruk Baliというバリのミカン(といってもグレープフルーツの三倍くらいある大きさ)を持ってきて、それを皆でもりもり食べました。

そしてもりもり食べている間にお父さんがバリミカンの分厚い皮を使って
子供のおもちゃを作るという。


ああ、嗚呼!なんと危機感の欠片もない生活なんだろう!
としみじみと感じました。

食料を工夫して保存しないと冬が越せない雪国では
こうはいきません。


あとで散歩してて分かる事ですが、バリミカンは生け簀の近くに生えていて
近所の人だか誰だか分かりませんが
竹を使って(先端は枝を挟めるように切り込みが入ってる)
生け簀にボンボン落として取っていました。

生け簀に落ちたミカンがプカプカ浮いています

落としたランブータンはジャカルタから来た親戚へのお土産に
枝を付けたままママによってランブータンおみやになりました。

タシクにいた4日間、毎日ランブータンを採り続けていましたが
それでもまだ沢山なっていました。

「ランブータンはいつまで旬なの?」
と聞くと
「食べ切るまでが旬さ」
と、なんともインドネシア人らしい答えが帰ってきました。


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