2014年1月28日火曜日

100,000年後の安全をデザインの視点で観てみる


放射能処理施設に関するドキュメンタリー映画「100,000年後の安全」が
2月10日まで無料で視聴できるってことで観てみた。

映画『100,000年後の安全』


私はドキュメンタリー映画ってやつがあんまり好きじゃない。
ドキュメンタリーっていうのは
「事実の記録に基づく作品」のことをいうらしいのですが
撮影したり、編集したりしてる時点で
それはもうドキュメンタリーでもなんでもなくね?
っつーか事実って一体なんやねん。
って思っちゃっうのですが
必要か不必要かと言われれば、記録として必要だとは思う。

でも、そいじゃぁ「記録」って一体なんやねん。

便宜上、他の創作映画と混ぜないように
「ドキュメンタリー映画」って言ってるだけかもしれないけど
それでも、あんま好きじゃない。

ま、とりあず今回はそんな話がしたいんじゃなくて
デザインを勉強してきた身としては
「100,000年後の安全」を観ていて、私的にすごく興味のそそられることがあった。



この映画は、
フィンランドにある、核燃料処理施設「オンカロ」についての話で
オンカロの関係者や、核燃料処理における法律に関わる人などのインタビューなんだけども

その中で

「約100年後に完全封鎖されるオンカロを、どうやって未来に残すか」

という話題の中で

・興味を持たれて掘り起こされたら危ないので、人々に完全に記憶から忘れ去られるように処理する
(まるで何もなかったかのように、もとあった景色に戻す)

・ずっと先の世代まで、警告を続ける



という二つの案があったんですけど

後者の「警告」は
世代ごとに、次の世代に分かるような形で常にアップデートしていくのは難しい。
途中で一度人類が何かしらの理由で(人類滅亡とか、氷河期とか、戦争とか)
アップデートできなくなる可能性が充分あるから。

そうすると、アップデート無しに、
言語も文明も違うであろう10万年先までの後世にどのようにして残していくか。
っていうのが大切になるわけで。

というのは、10万年たたないと、使用済み核燃料は無害にならないそうなので
10万年よりも前に人類がこれを掘り起こしたりしないようにするために
どういった警告をするのが有効か?という話。


その中で二つの案がでたんですね。

1、マーカー(言語に頼らないサインのような表示を残す)
2、本能的に拒否反応をしめすような場所にする(立ち入りたくないと思わせる)

っていう2つ。


マーカーっていうのが、いわゆるサインのようなもんですね。

こーゆうね。
私たちが日常的に使う、道路標識とか道案内の看板なんていうものは
10万年先まで残るとはとても考えられないので
石とか鉱物に、なるべく普遍的な表現で彫って残すっていうやり方が
今のところ有効だと考えられているそう。
こういう標識のような
石で出来た簡易のモニュメント。
もっと詳しく説明が書いてあるキオスク。

10万年先は、今よりももっとテクノロジーが発展しているかもしれないし
また、原始人のような生活をしているかもしれないから
データのようなものは記録物としては不安定だということ。

なんか、面白いっすよね。
こんだけテクノロジーが発達したのに
後世に「誰もが分かる普遍的な形で警告」を残す方法が
石器時代と全く変わらないわけですから。

今使われてる言語なんて、役にたつかどうか分かんない。


マークだって、そう。
皆知ってる放射能マーク。


「知識」があるから"放射能"だ
って分かる訳で、
その知識がなければ、恐らくなんもわかんないわけです。


もちろん、こういう標識とかサインっていうのは
そりゃあもうエラくて頭のいい人たちが考えてるわけで
(ちなみに放射能マークは1946年にカリフォルニア大学の研究室が考案したそう)
なるべくして、普遍的に色んな人種の人が共通の認識でこれを危険だと
感じられるかどうかってことで、これになったのは分かるんですけど。
黄色と黒の配色が本能的にこれを危険だと感じるのもわかるんですけど。

10万年後に、色を塗料かなにかで残せるかって言ったら
まぁ残せないだろうし
この記号が「イコール 放射能もしくは危険を感じるもの」って分かってもらえるのも
無理だと思う。

マーカー・サインの類いは、洗練されすぎちゃうと
長期的には「普遍なもの」にはならないそうです。
それきくと、今まで習って来たデザインって何だったんだろ
って色々ふっとびます。




2、の本能的に拒否反応をしめすような場所にする
っていうのもなかなか
面白い案だった。


http://ratical.org/radiation/IntoEternity/MichaelMadsen.html

・・・こんなんすっげぇ好奇心そそられちゃうけどね。
私なら絶対見てみたくなっちゃうなぁ。

上は、ランドスケープを「恐怖・危険性」を与えるものと想定しているわけですが
エドヴァルド・ムンクの「叫び」も
ネガティブな感情を率直に示しているっていうことで
候補に上がってるそうです。


ともかく
「危険性」を普遍的に伝えられることは
翻せば
高い「安全性」に繋がる訳で
なるほどな〜と思う訳です。



私がもし超未来に生きていて
この場所を発見したとして、
「この場所を掘り起こさない」ようにするために有効な手段は
この中では、ムンクが一番だと思う。

でも私は今までアートが「普遍的なもの」とは考えた事がなかったので
なんだか色々揺れてます。



大学の授業で
「10万年先の人類分かる形で"危険"を知らせるデザインを考えろ」
とかあったら、面白いのに。


先生が評価に困っちゃうけど。


「後世に残したいデザイン」
はたくさんあるけど
「後世に残したくないモノのためのデザイン」
っていうのは世界の著名デザイナーが束になっても難しいだろうなぁ。


面白かったです。



2 件のコメント:

TAKERU さんのコメント...

はじめまして。自動車のデザイナーをやっている者です。本件非常に面白かったです。『残したくないものの為にデザインする』私も考えてみたくなりました。

Kuro さんのコメント...

TAKERUさん、はじめまして!ブログを放置していて3年越しの返信になってしまいました。。。たいへん失礼致しました。そしてコメントありがとうございます。

自動運転が広がりを見せるなかでこれからの車は更なる安全性が求められるなか、テクノロジストや技術者の力が果たすところが大きいかと思いますが、エクステリアが最重要視される車の世界で、デザインが安全性のためにできることがあればとてもすてきだと思います。
TAKERUさんのデザインの種になれば嬉しいと思いつつ、ご訪問に感謝申し上げます。

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