2013年10月6日日曜日

言語の力


最近、DIO(ディオ)君とよく話をする。DIOはインドネシア人で、バンドンの生まれなのでスンダ人でもある。当然、母語はインドネシア語とスンダ語(ネシアの地域語)ということになる。
英語も非常に堪能で、フランス語も勉強しており、アラビア語も読めて、日本語も私から勉強中という、語学オタクである。もはや「何リンガル」なのか分からない。それでいて外見がギリシア彫刻のように美しいのだから困ったものである。(しかもDIOはイタリア語で「神」であるからもっと困ったもんである。)


彼自身、何故言語に強い興味を示しているのか自分でもよく分かっていないらしい。ただ、他の国の言葉を学びたいという強い欲求だけがあるという。

その、彼自身が気づいていない「欲求のワケ」に私は気づいてしまったのである。




それはDIOに「日本には ”笑い方” に関する言葉がすごく沢山あるんだよ」と教えていた時だった。ディオが「へえ、そうなんだ。エスキモーの言葉には雪を表す言葉が沢山あるらしいよ。雪は、彼らの生活にとても重要なものだから」と言うのを聞いていた時だった。



あれ? 彼がどうしてこんなに他の言語を学びたいかって
" 自分の気持ちを的確な言葉で表現したいからなんじゃないのか?
それが、インドネシア語では叶わないからなんじゃないのか? "

と気づき、DIOに伝えると
「 That's iiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiitt!! それだーーー!!」と大興奮。
「僕は君に出会えた事を神に感謝したい!Oh my god!」


ある特定の言語で特別な言い回しや言葉を持っているということは、人間の共通意識にあるものではなく、その国や地域の独特の文化に寄与しているのではないか。と思ったのだ。
彼らはそれを使いこなしているはずだし(でなければいつか ”死語” になる)、それを使い分ける必要がある文化や教養を持っているということ。


「フランス語は愛の言葉なんだ」と教えてくれたのはDIOだったけど、まさしくそういうことなんだ。フランスには愛を表現する言葉が他の国よりも沢山あるから、彼らは自分の気持ちを他のどの国よりも詳細に表現できる。そして、それを使い分けるだけの意味や価値があるから存在している。
日本語はフランス語のようには愛を表現できない。だからフランスの映画に出てくるその甘ったるいキザでロマンティックな言い回しにドキドキしたり、逆に上手く理解できないのである。「僕のかわいい小鳩ちゃん」と言われても「こ、コバトちゃん!?!?」となってしまう。ただ翻訳しただけでは理解できない。それは私たちの心に「小鳩ちゃん」の要素が育っていないということではないのか。


「なんで女の子っていうのはこんなに複雑なんだ!! 」嘆くインドネシア人男子に向かって、「日本ではね、 "女心と秋の空" って言ってね、それだけ移り変わりやすいってことなのよ」などと言ったところで、一生待っても秋が来ないインドネシア人にはそれは理解できるものではない。




こうした事は全ての言語で起こっているのだと思う。
つまり、言語にはそれぞれ何かを表現・伝達するのに特化した言葉を持っている。

それはもし、全世界の人が全世界の言葉を理解できるとしたならば
それぞれに特化した言語の特徴を活かす事で一番思いが伝わりやすいのではないかと思う。

プレゼンテーションは英語で話し、
情緒を表現したいときは日本語で話し、
情熱を表したければスペイン語を使い、
愛を伝えたいときはフランス語を使う。



イスラム教という宗教がどうしてここまで大きな宗教になれたかということも、これで説明できるように思う。それは、「アラビア語」が持つ力だと思う。
アラビア語は、厳かな雰囲気を持つ「音」を持っていて、その音は他の言語では出せないという。イスラム教の聖書「クルアーン(コーラン)」は当然アラビア語で書かれてて、クルアーンをアラビア語で読むだけで、アッラーの偉大さがその教えが「音」で理解できるのだそうだ。他言語を母語とするイスラム教徒は、アラビア語の意味が分からずともその音を読む事ができる人が多い。現在多くの言語でクルアーンは出版されているものの、ムハンマドはこれを禁止していたのはそういった理由からなのだ。(実際翻訳されているのは "注釈本" という体裁をとって出版されている)
アラビア語の母語話者が少ないにも関わらず、ここまでイスラム教が大きな宗教であるのはアラビア語という言語の力が非常に大きいと思う。


だから、DIOの中には、伝えたい感情や気持ちがずっと存在していて
その感情を的確に表す言語を探していただけなのだ。

彼は、どんな伝えたい事があるんだろう。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

すごく興味深く、楽しく読ませていただきました。
続きを楽しみにしております。

通りすがりのおばちゃんでした。

Kuro さんのコメント...

こんにちは。
コメント残してくださってありがとうございます!ありがたいお言葉、恐縮です。
是非またお時間のあるときに覗いてください。

コメント頂くととても嬉しいので、また気軽に書いてくださると嬉しいです。
本当にありがとうございました!

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ご無沙汰しております、Kuroです。 アーカイブとしてしか機能していないこのサイトですが、 それでもある程度の方が見てくださっているようで有難い限りです。 インドネシア在住時の2年半の間は、ほぼ毎日更新しておりましたが 日本での暮らしに忙殺されて、 書こう書こうと...